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初学・新規、の内容を学習するためのリソースの限界を超えて

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Copyright © 2020 TAKEHANA TADASHI
著作日時: 2020.10.22.木. 14:59:00 著作者、竹花 忠
初学・新規、の内容を学習するためのリソースの限界を超えて:
 初出の構成や、構成は初出でなくても、構成に占める要素が初出であるなど、記憶のためのリソースに対する、負担・負荷、が高い、情報・知識、であると、リソースを消尽し超過した時、記憶・思考、に、滞り・支障、をきたす。
 構成自体は初出でなく、使用されている要素自体も初出のものでないなら、その組み合わせによる内容が初出であっても、記憶のためのリソースに対する、負担・負荷、はさほどのものとはならない。
 つまり、構成と要素の組み合わせによる内容としては初出であっても、構成自体、要素自体、としては初出でないなら、記憶のためのリソースはほぼ消費せずに支障を生じることなく、さして苦痛を生じることなく、その情報・その知識・その内容、が取り込めて思考を続行してゆける。
 心・意識・内面、が外在する他者と、隔絶・遮断・閉鎖・孤絶、しているなら、学習中の、情報・知識・内容、また、学習済みの、情報・知識・内容、の盗用や、情報・知識・内容、の他者による不当な学習の遂行も、防止できる・阻める・阻止できる。また、自らは、一切の妨害を受けることなく、合法的な学習が進めてゆける。
 それが人権侵害のない状態であり、従ってその状態であること、つまり、心・意識・内面、が、隔絶・遮断・閉鎖・孤絶、した状態であること、は保障されつづけられるべき状態である。
 それを侵害すること、つまり、学習実績に応じた実力を発揮することを侵害すること、は絶対に許されないことである。人権侵害は絶対に許されないことである。心・意識・内面、の、隔絶・遮断・閉鎖・孤絶、は何が何でも守られ続けるべきことである。
 それによって、自分の実力通りに学習が進み、そして、その学習実績通りの実力が発揮できる。それが保障されるべき、あるべき、状態である。

 初学・新規、の、知識・情報・内容をリアルタイムで学習する時に使える、思考・意識・記憶、のリソースは、それほど大容量ではない。
 であるから、ある程度以上、初学・新規、の内容の学習を続けると、リソース不足になる・オーバーフローしてしまう。つまり、情報・知識、の取り込み運用に支障をきたす。
 そこで、休憩をとることで・インターバルをとることで、初学した内容が・新規の内容が、短期記憶・長期記憶、に転化するか、あるいは、転化しないまでも、いくらか意識になじんだ、より受容、運用、しやすい状態のものとなるのを待つ。
 それによって、初学の内容・新規の内容、をリアルタイムで学習する時に消費されるリソースの、消費・占有、が(いくらか)回復・解放、される。
 そうすると、初学の内容・新規の内容、がいくらか意識になじんだ内容ともなりリソースの空きもいくらか増大した状態での取り組みとなるので、初学だった内容・新規だった内容、がよりたやすく取り込め運用できやすくなる。また、さらなる、初学の内容・新規の内容、の取り込み運用、のための取り組みを追加してゆける。リソースを消尽してしまうまでは。
 であるから、休憩・インターバル、をとりつつ、初学の内容・新規の内容、を、短期記憶・長期記憶、か、あるいは、学習当初よりもより意識になじんだより軽い負担で取り込み運用ができてゆける状態になったところで、つまり、初学の内容・新規の内容、を学習するために消費したリソースの、回復・解放、が進んだところで、追加学習を行う。
 このことを・この方式を、繰り返すことで、初学の内容・新規の内容、を学習するためのリソースの容量以上の容量の、初学の内容・新規の内容、が取り込めて運用できてゆける。
 短期記憶・長期記憶、となったものは、新規の記憶のためのリソースを消費してしまうことなく、それとは別枠で、思考の場において、使用・運用、してゆけるのだから