トップページへ

演繹思考について

Access Count : 1220

Copyright © 2022 TAKEHANA TADASHI
著作日時: 2022.02.05.土. 12:00:00 著作者、竹花 忠
更新版著作日時: 2022.02.19.木. 14:08:00 著作者、竹花 忠
演繹思考について:
 不可避に再現性のある一意な内容や守るべき一意な内容、を、集め尽くす・揃え尽くす。そして、それらを、前提・公理、とする。この、前提・公理、に何一つ反することをしない中で成立し得る、状態・内容、を導出する・描き出す・明示する。それが演繹思考である。
 つまり、前記の、前提・公理、から、確実に言い切れることだけを、主張する・導出する・明示する。それが演繹思考である。
 演繹思考によって、前提・公理、の含意が、得られる・導出される・描き出される・明示される。
 つまり、一意な不可避に再現性のある生成規準や一意な一律一様に徹底的に適用されれる許否規準が普遍している、世界・系、であってこそ・でだけ、演繹思考は成立する・一意な予言が的中可能となる。
 一意な規準の、適用漏れ・発効漏れ、のない、世界・系、でなければ、演繹思考による導出内容に一致した状態派、生起しない・展開しない。
 どんな構成・どんな変遷、によって、どんな状況・どんなこと・どんな内容、がもたらされるかが、得られる・導出される・描き出される・明示される・予言できる。
 そのような含意を確認することが演繹思考の効果である。
 この世界では・この系では、そこに集められた・そこに揃えられた・そこに述べられた、一意な内容が、不可避に再現するか守られ尽くすかする場合には、各内容の、どんな構成・どんな変遷、によって、どんな状態・どんなこと・どんな内容、がもたられるか。それを、確認すること・導出すること・描き出すこと・明示すること・予言すること、ができることが演繹思考の効果である。
 その確認内容・導出内容・描き出された内容・明示された内容・予言された内容、は、その前提としている一意な内容が不可避に再現するなら、また、守られ続けるなら、先の、構成・変遷、の時には、必ず・絶対に、成立するものであることが、保証されている・保証される。
 演繹思考にはそういう特徴がある・演繹思考においてはそういう対応関係が成立する。
 簡単な例では、足し算の世界・足し算の系、を考えてみれば確認できる。
 足し算の世界・足し算の系、の、前提・公理、は、足し算は、その記号の前後の個数を合わせた個数をもたらす。それぞれの個数は、演算の・足し算の、前と後でそれぞれ変化しない。
 するとその含意として、1+2は3をもたらすことが、明示される・導出される・描き出される・予言される。
 そして、1+2と構成された時には、絶対に、3がもたらされる。
 足し算は、その前後の個数を合わせた個数をもたらすものである、また、それぞれの個数は足し算の前後において変化しない、ということが、不可避に再現するなら・守られ続けるなら、1+2から3がもたらされることは、保証されている・保証される。
 なので反対に、一意な不可避に再現性があると思われることや一意な守り続けられるべきことを、前提・公理、に設定して、それに従った思考を行った・演繹思考を行った、結果・導出内容、と、当該世界・当該系の、実態とが一致しなかったのなら、一意な不可避に再現性があると思って、前提・公理、に設定したこと、あるいは、一意な守り続けられるべきこととして、前提・公理、に設定していたこと、が、実際には、一意な不可避に再現性のあることではなかった、あるいは、一意な守り続けられるべきことが守り尽くされていなかった、ということが、検証される・確認される、こととなる。
 ちもろん、構成・変遷、の実態と、構成・変遷、の実態についての認識、との間に、ズレ・齟齬・食い違い・取り違え、があれば、前提・公理、に設定している内容に問題がなくても、認識している、構成・変遷、に基づいて導出した内容と、実際の、構成・変遷、からもたらされる内容とが一致しないということにもなり得る。
 であるから、実験結果が、演繹思考で導出される結果と一致しなかったからといって直ちに、演繹思考の、前提・公理、に設定した内容、に問題がある・が正しくない、と確定するわけではないが・即断できるわけでばないが、実験の設定とその設定についての認識に齟齬がないにもかかわらず、認識に基づく演繹思考による導出内容と実験結果が一致しないなら、それは、前提・公理、に設定した内容、に問題があった・が正しくなかった、ということである。
 なので、演繹思考によって、前提・公理、に設定した内容が、この世界の・この系の、本当に不可避に再現性のある内容であるか守り尽くされるべきことが本当に守られ尽くされているか、を検証することができる。
 演繹思考からは、そのようなことも得られる。

 系における成立状態の可否が判断できるためには、系における状態の、不可避に再現性のある一意な生成規準を知っておくことが必要である。
 系における状態の、不可避に再現性のある一意な生成規準から生成できるものが、この系において生成可能な状態である。
 次に、生成可能な状態のうち、成立させることの許否が判断できるためには、系における状態生成の、一律一様に徹底的に適用される一意な許否規準を知っておくことが必要である。
 系における状態生成の、一律一様に徹底的に適用される一意な許否規準から許可されるものが、その系において生成が許可される状態である。
 あとは、生成が許可される状態の中から、目的に合った状態、目的に合った状態を、生成・成立、させる構成、を、見つけ出せばいい・探し出せばいい。
 そして、合目的的な、不可避に再現性せのある一意な生成規準の構成に対応したものの構成を、使用してゆけばいい。合目的的な、不可避に再現性のある位置否生成規準の構成に対応したものを適材適所で使用していけばいい。
 系において許可される、成立可能な状態を見つけ、合目的的な、状態・変遷展開、を達成してゆくステップ・に到達してゆくステップ、を、確定する・見出す。
 この系内のそれぞれの主体にとって合目的的なこの系の含意、つまり、それぞれの主体にとって合目的的なこの系の成立可能状態を取得すること。
 それを導出するのも演繹思考である。
 なお、主体が管理するリソースの出所の性格に応じて、その主体の責任や権利は決まる。つまり、主体が管理するリソースの出所の性格に応じて、その主体に適用されるべき許否の規準体系は決まる。
 つまり、主体の中には、私人としての責任と権利で目的を追求する主体もあれば、公職にある者としての責任と権利で目的を追求する主体も存在する。
 私人に適用される規準と公職にある者に適用される規準は異なる。
 私有財産を使用して活動する主体である私人と、公金を使用して活動することが委任されている公職にある人とでは、リソースが私物か、リソースが主権者から託された、公金・公共財、か、の違いがある。
 なのでザックリ言って、私利私欲を追求して使用すべきであるか、公共の利益に配慮して公正平等に使用すべきであるとか、という異なった規準が適用される。

 一意な規準が、その系・その世界、の全域で常時、有効である・発効し続けている。
 そのような規準を、前提・公理、として、その前提・その公理、に従って、導出を行う・変遷展開を描き出す。それが演繹思考である。
 規準が、その系・その世界、の全域で常時、有効であり続けている・発効し続けている、のでなければ、その規準に従って、導出した内容が・その規準に従って描きだした変遷展開が、場所によってあるいは時によって、真であったり真でなかったりしてしまう。
 これでは、演繹思考による、導出内容が・描き出された変遷展開が、真であったり真でなかったりするから、演繹思考の成立しない、系・世界、である。
 演繹思考が成立する、系・世界、は、つまり、規準に従って、導出した内容が・描き出した変遷展開が、確実に真であることが保証されている、系・世界、は、その規準が、その系・その世界、の全域で常時、有効である・発効し続けている、系・世界、である必要がある。
 一意な規準が、その系・その世界、の全域で常時、有効である・発効し続けているなら、その系・その世界、の事象について、一意な予言を行うことが可能である。
 つまり、この時には、必ずこうなるという規準に基づいて、それらの規準で構成された各事象について、必ずどうなるかを示すことが可能である。
 演繹思考が成立する世界は、たとえば、数学であり、詰将棋である。