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文面の受容の仕方

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Copyright © 2019 TAKEHANA TADASHI
著作日時: 2020.05.07.木. 17:28:00 著作者、竹花 忠
文面の受容の仕方:
 どういう構成の中のものか。
 その構成の中で、どんな位置づけなのか・どんな役割を担っているのか。
 そういう情報が得られると、腑に落ちる、ということにもなる。
 しかし、それらの、知識・情報、は述べられていないということもある。
 その場合、ないものねだりをしても徒労に終わる。
 ないものねだりはしない。ムダな努力は控えるべきである。
 そのことをしっかりと自覚して、あれこれ欲する気持ちを抑えて、提示されたことだけが得られることのすべて。提示されたことだけの把握に、努める・専心する。
 それを読み下し範囲の拡大につれて、その都度、励行する。
 そうして、提示されただけのことを次々と把握して、そして、統合化できるに至ったところで統合化してゆくだけでいい。
 それによって得られるだけの内容だけが、その文面から得られるはずの内容のすべてであるのだから・その文面から伝えられる内容のすべでなのだから。
 それ以上の欲求があるからといって、それ以上の内容を求めることは、ないものねだりである。
 得たいことと、文面がもたらし得る内容とが食い違っていて、無理なことである。
 求めても求めても、その文面だけからは求め続けてもムダなことである。
 ムダなことはしないに限る・ムダな努力はしないに限る。

 文面によって述べられている内容が、どんな構成なのかがはっきりしない・はっきりつかめない。
 文面によって提示されたこれ、と、この構成、とがどんな相互関係にあるのかがはっきりつかみきれない文面である。
 そういうこともあろうが、それならそれは、その文面が悪文なのである。
 諦めるか、なし得る解釈の1つ、あるいは、複数、を1つ、あるいは、複数、試してみる。
 その解釈の中で、その後の展開においても、辻褄の合い続けているものとみなせた解釈を採用してみる。
 そういう憶測、推定、は、普通に試してみることである。
 しかし、そんな苦労を強いることのない文面であるべきである。
 もちろん、試してはみたものの苦労の甲斐なく、脈のありそうな解釈に至れない場合もある。