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記述しながらの思考

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Copyright © 2022 TAKEHANA TADASHI
著作日時: 2022.04.11.月. 18:05:00 著作者、竹花 忠
更新版著作日時: 2022.04.22.金. 18:00:00 著作者、竹花 忠
記述しながらの思考:
 記述しながら思考すると、発意・発想・想到、済みの内容が記述されことになる。(限られた範囲の)紙面上に存在することになるので、失念しても・失念しかかっても、紙面上の当該位置に目がいけば、読み直すだけで割りとすぐに、その内容が・当該内容が、再認・再生、できる。
 だから、あっ、さっき考えていたあれが関係してるんだ、と思ったときに、それを表現したことばがしっかりと得られた上で、その内容も割りとすぐに再現されることになる、読み返すだけで。
 なので、さっき考えていた、記憶のかなたに失われかかっていた、あれが・内容が、記述済みであることで、よりスムーズにその表記もその内容も引き戻されて思考が継続してゆける。
 また、気になったことばの意味を調べるためなどで思考を中断したとしても、その中断が長引いたとしても、中断中の作業や思考による情報でそれまでの思考が雲散霧消させられてしまったとしても、紙面に記述済みの文章を読み返すことで、また、割とすぐに意識に、それまでに辿った思考内容をセットアップしなおせる。
 1回の読み返しでしっかりとセットアップしなおせなくても、何度でも読み返せて、何度も読み返せば、しっかりとセットアップしなおせる。
 また、読み返すなどして修正すべき点に気がつけば、それを紙面上に加除して、記録・記述、に留めつつ、修正も果たせてゆける。
 意識に思考内容をセットアップしなおした上で、その先の思考を進めてゆける。
 見つめていること・気づいていること・思い定めていること・つじつまの合うこと、など、記述しようとしていることを、発意・発想・想到、していることの表現を、確定してゆこうとすることによって、それを記述しながら思考わ前進させてゆける。
 読み返せば、これまでに、発意・発想・想到、した内容に触発を受けての内容の記述へと進めたりもする。
 ちょっと表現が、あるいは、内容の詳細が、はっきりしなくなったが、この思考のここは、前出の内容の再度の使用であることがはっきりしているなら、読み返してそこに辿り着き、の表現を転記することで、記述しながらの思考が前進してゆける。
 これが頭の中だけでの思考であったのでは、さっきどう表現していたっけというのがしっかりと思い出せなくなったら、そこで思考が滞ってしまいかねない。
 その点、記述しながらの思考では、確固として外部空間に存在しているものをただ読み返すだけで、失念・忘失、しても、内容が表現付きで再現できることが保障されている。
 中断して忘失しても、思考容量からあふれ出てオーバーフローして忘失しても、記述済みの分については、読み返しさえすれば、比較的速やかに回復できる。表現付きでその内容が。
 頭の中だけで考えていた場合には、発意・発想・想到、済みの内容の、失念・忘失、に対する確固とした備えがないために、中断やオーバーフローによる、失念・忘失、が心配で思い切って思考を先へ先へと進めることができないかもしれない。
 先へ先へとどんどん思考を進めていった場合、前段で、発意・発想・想到、していた内容を、いくつか、失念・忘失、してしまうかもしれない。
 失念・忘失、した異なようの回復に時間がかかるかもしれないし、回復できないかもしれない。
 しかし、記述しながらのら思考では、記述に時間を要するものの、失念時・忘失時、のその回復のための確固とした支えになる、記述・記録、がある。だから、思い切ってどんどんと先へ先へと思考を安心して進めてゆける。失念・忘失、に強い。その点、効率がいい、記述しながらの思考は。
 思考済みの内容が記述してあれば、その内容の忘失を恐れて懸命に意識を働かせて、これまでに考えたどってきた内容を、意識に・記憶に、保持し続けていようとしなくても、大丈夫であある・済む。
 考え辿ってきた内容は、記述されてあるから、放念して、もし、忘失したとしても、読み返すだけで、回復・復旧、できる。
 だから、思考してきた内容の保持に血眼になって意識を働かせ続けなくて済む。
 随時、気軽に放念しつつ、脱力して楽になった分・負荷が軽減した分、の思考余力で、忘失しないで残っている内容から、あるいはそれと新たな、刺激・情報、とから、さらなる思考を進めてゆける、気安く安心して。
 そして、その思考内容も記述してゆくことで、その手前までの思考内容の全容が意識に保持しきれていなくても、紙面上では何ら欠損なく、確固として、文章で、それ以上の規模の思考内容を、残置・確定、することができる。
 記述しながらの思考には、そういう効果がある。
 もちろん、記述してゆく端から、次々と著作権が成立してゆくにもなる。これも当然、獲得すべきことである。
 ひとが一時に思考できる容量を超えた、規模・容量、にわたる思考を、記述しながらの思考は叶えてくれる。
 もちろん、そのためには、思考した内容を・想到した内容を、文章に記述できるための能力を備えていることが必要である。
 その能力のためにまず必要なのは、定義を学習済みのことばを、記述対象を記述するのに十分なだけ持ち合わせていることである。
 多くの場合、どのことばが必要となるかは不明であるから、できるだけ多くのことばについてその定義を事前に学習してあると有利に事は進めてゆける。
 もちろん、その他に、構文についての知識。この構文だったら、どの位置のことばとどの位置のことばがどんな関係にあることになのかについての知識も必要である。
 ことばの定義の知識と構文の知識を学習してあって、ある程度習熟していれば、より有利に事は進めてゆける。
 なので、集中的にことばの定義を学習する歳月を持つことも必要である。
 構文中の各位置のことばの間の関係をしっかり把握しつつ、文章を読んだり書いたりする経験を積んでゆくことも必要である。
 そのような、学習・訓練、の歳月を経てこそ、よりスムーズに、記述しながら思考することが果たせる。
 記述しながら思考することが果たせれば、前記したとおりの効果が得られる。