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自分(=竹花忠)の見解の根拠、枠組み、についての話

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Copyright © 2022 TAKEHANA TADASHI
著作日時: 2022.03.05.土. 10:00:00 著作者、竹花 忠
更新版著作日時: 2022.05.07.土. 20:45:00 著作者、竹花 忠
自分(=竹花忠)の見解の根拠、枠組み、についての話:
 自分(=竹花忠)の、見解・主張・著述・記述、というのは、どういう根拠というか枠組みというかにおける、見解・主張・著述・記述、であるか。
 そのことについて少し述べておく。
 このことはそのことをもたらす要因になり得るものである。ということから(して)、このことによってそのことが引き起こされている・引き起こされる、と言う、主張・著述・記述・見解、となっている。
 ただしもちろん、このことはそのことをもたらす要因になり得るかどうかは、荒唐無稽な規準・オカルト的な規準・超自然的な規準・非科学的な規準・サイエンスが解明したどこでも常時発効し続けているものではない規準、に基づくものであってはならない。サイエンスによって解明されたどこでも常時発効し続けている規準に基づく、判断・判定、でなければならない。
 また、自分の内面の意識展開を、内省した結果として・自分で点検検証した結果として・自問自答した結果として、導出した、主張・著述・記述・見解、ということでもある。
 ただしもちろん、その際にも、荒唐無稽な規準・オカルト的な規準・超自然的な規準・非科学的な規準・サイエンスが解明したどこでも常時発効し続けているものではない規準、を使用して点検検証したのでは正しい答えは得られない。
 サイエンスが解明したどこでも常時発効し続けている規準を使用して点検検証を行う。あるいはまた、そこに介在していてもおかしくない、つまり、サイエンスの解明したどこでも常時発効している規準と整合しないものではない、妥当性の高いメカニズムを・妥当性の高い対応関係を、そこに導入して・そこで使用して、つじつま合わせを考える。
 将棋の指し手を考えている時やコンピュータープログラムづくりのときなど、取り組みを続けてゆくと・取り組みを増大させてゆくと、辛くなってくる、苦しくなってくる、ついには、思考内容が、乱れて・崩れて・ぐちゃぐちゃになって、破綻してしまう。
 この事象に対しての見解をまとめるに当たっては、妥当と思われる対応関係・妥当と思われるメカニズム、を導入している。
 達成するために使われるものが一方においてあり、他方においては、それを、使わせるもの・消耗させるもの、がある。
 そういう2項対立的、モデル・図式・メカニズム・想定・対応関係、のもとにまとめ上げた、見解・主張・著述・記述、であるということも言える。
 将棋の指し手を考えている時やコンピュータープログラムづくりのときなど、取り組みを続けてゆくと・取り組みを増大させてゆくと、辛くなってくる、苦しくなってくる、ついには、思考内容が、乱れて・崩れて・ぐちゃぐちゃになって、破綻してしまう。
 なお、将棋やプログラミングの思考をおこなっているのは、脳であり、記憶体系であり、記憶スペースを使用してのことである。
 以上のような1次データー的なものが体験、把握、学習、されてある。
 それを整合的に、つじつまの合うように、整えられた体裁で、主張・著述・記述、する。
 乱れて・崩れて・ぐちゃぐちゃになって、破綻するのは、作業用の記憶スペースの容量が思考のために導入展開した情報によって、消耗して・使い果たされて、さらに容量を超えて作業用の記憶スペース内に収まりきらないのにそれでもなお、無理に何とか作業用の記憶スペースに収めきろうとしてあれこれやりくりが進められたために記憶が乱れて、あるいは、記憶の収容状況・記憶の収容態勢、に異常をきたしてしまうことによる。
 だから、このことが、思考内容が、乱れて・崩れて・ぐちゃぐちゃになって、思考が破綻してしまうことを、引き起こしている・引き起こす。
 と、まあ、そういうことでの見解の完成である。
 多人数に対するアンケート調査による結果ではない。
 また、直接に、作業用の記憶スペースに当たる物質構成物とそこに導入展開された情報に当たる物質構成物(との反応)を観察しての、結果・記録、でもない。
 サイエンスが解明したどこでも常時発効し続けている規準に基づく知見を参考にしたり、妥当な対応関係・妥当なメカニズム、と思われるものを織り込みつつの、つじつま合わせでの見解である。
 自分としてはこれで同類の事象が、サイエンスが解明したどこでも常時発効し続けている規準に反することなく説明しきれているな、という感触が抱けていて、反例が見当たっていなくて、なのでこの見解が正しいだろうと暫定的に信じている。そういうことでの見解の主張である。
 あるいはまた、その系のあらゆるところに常時設定されるべき規準を想定して、演繹思考の成立する系を、用意して・構成して、その系の中で規準に反することなく成立する状態の形成によって、目的を達成する方法について述べたり、あるいは、規準に反しているから成し得ないとか成してはならないとかいうことを述べたり。そういうことでの主張も行っている。
 さて、意識上の確認状況や意識上の、検出事象・感覚事象、があって、そのつじつまあわせというか、その理由づけというか、その変遷展開の原因というか、について、つじつまの合う、整合する、何らかの、形式・様式・モデル・構成、で、しかも、サイエンスのルールに反するものではないもの、を使って、なおかつ、脈絡を取り違えずに・論理を取り違えずに・筋道を踏み外さずに、説明してゆく・述べ表してゆく。
 であるから、全く事実無根の、ストーリー・説明、というわけではない。
 主観的にではあるが、確認・検出、した、事実と事実の間をつなぐについて、サイエンスのルールと演繹思考に反しない、つじつま合わせで・論理構成で・心匠で、仮想される実態を描き出して述べている。
 事実と事実との間のつながり方については、観察が果たせなくて、観察が不成立なので、だから、観察に基づく記述ではなく、サイエンスのルールと演繹思考に反しない、つじつま合わせ・論理構成・心匠、での内容の記述に代えている。
 であるから、全くの荒唐無稽な主張というのではなく、サイエンスのルールと演繹思考に、根ざした・基づいた、推論・推定・仮説、である。
 つまり、オカルト的なものでもない、神秘主義的なものでもない、超自然的なものでもなく、科学的な仮説、科学的な主張、科学的な推量、である。科学的知による、果敢な推定・挑戦的な推定、である。
 また、具体的に詳細が観察されいな、部分・ユニット・仮想的介在物、については、そこに、いくらか、範囲・対象、を限定してはいるけれども漠然としたもの:ある種の類型的なもの:抽象的なもの、を配置。それによって、つじつまの合ったもの・整合した系列、を構成して、説明を進めている・述べ表している。
 また反対に、具体的に特定の事象は観察できている場合もある。あるいは、具体的な特定の事象は確定できている場合もある。
 しかしそれでいて、汎用化のために・一般化のために、その具体的に観察できている事象を・その具体的に把握できている事象を、抽象化して:対象・範囲、にいくらかの制限を残しつつそれでいてより、広漠・漠然、としたものに置き換えて:ある種の類型的なものに置き換えて、説明を進めている時もある・記述している時もある。
 再現性のある、より広範囲に・より多くの対象に、適用できる規準としての利用を、目指して・意図して、わざわざ・積極的に、抽象化:対象・範囲、にいくらかの制限を残しつつそれでいてより、広漠・漠然、としたものに置き換え、して、説明文を完成させている・記述を進めている。ということも多々ある。
 ところで、ここで仮想実態の定義について触れておく。
 それは、仮に、こんな類のものだとすれば・こんな性質のものだとすれば、つじつまが、合う・合わせられる。つじつまが合うためには・つじつまが合わせられるためには、それは、こんな類のものであればいい・こんな性質のものであればいい。
 そのような時の、それが仮想実態である・それを仮想実態とする。
 話は変わるが、対象が正確に、認識・把握、できているなら、正確な定義の知識を使って、取り違えなくことばを選ぶことで、対象が正確に表現できる。
 あるいはまた、対象の仮想実態が取り違えなく、描けているなら・認識できているなら・把握できているなら、正確な定義の知識を使って、取り違えなく言葉を選ぶことで、仮想実態が正確に表現できる。
 なお、説明文を案出する際には・表現を行う際には、取り違えのないことばの選択に努めている。
 関連語や想起したことばの定義を辞書で確認した上で、正確を期して使うことばを選んでみたり。もちろん、ジャストフィットする、ことば・一語、がない場合は、近似する、ことば・一語、の内容に加除を加える、ことば・表現、を連ねて、正確さの高い、説明を・記述を、完成させてゆく。
 不可避に再現性のあるサイエンスのルールや、ある議論・ある主張、に際して、自分がこの対応関係は不可避に再現性のあるものであるとして使用してゆこうということで、公理として定めた規準。それらの規準が、その議論・その主張、においては不足ないだけ揃っていて、また、題材の構成要素も、その議論・その主張、においては不足ないだけ揃っていて、そのうえで、取り違えなく論理を展開していたなら。それを心がけているわけであるが・それを追求しているわけであるが。それであるなら・それが叶っていたなら、この思考によって、展開、導出、される内容は、確かに、取り扱っている題材の、世界において・系において、成立可能なことを述べたものになる。
 人の関わる題材であったなら、成立可能であっても、人の欲に適わないことなら実現可能性は低くなる。人の欲に適うこと、インセンティブの高いことであるなら、実現可能性は高くもなり得る。
 人の欲の制御もよく考慮した上での上述のような思考での導出内容であったなら、その内容は現実化できる可能性が高くなる。