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暴力による威嚇や略奪や破壊や窃取や詐欺の禁制が遵守されている中での競争:

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著作日時:2021.06.04.金. 07:38:00 著作者:竹花 忠
暴力による威嚇や略奪や破壊や窃取や詐欺の禁制が遵守されている中での競争:
 誰もに合法的に自己利益の最大化を追求する権利がある。
 ということは、他者が譲歩してくれたなら合法的に獲得できる、利益・利便、は、獲得できないものと考えて、推計し、計画してゆくべきものである。
 なぜなら、他者は他者で自らの合法的な自己利益の最大化を、追求して・期して、行動を執る権利があるのだから、譲歩などしないことになるのだから。
 それぞれが、合法的に、それぞれが最も得をすることになる(はずの)行動を執りあって、合法的に競争して生きてゆくのが、それぞれにれとって、最も効率的な生き方である。
 効率的な生き方でなければ、その分、余計に損をする。あるいは、その分、利益・利得、を獲得し損なってしまう。
 なので優れたプレーヤーであればあるほど、合法的により得をする効率的な生き方をする。
 つまり、ムダに譲歩などしないで、能力の効率的な増大のために合法的に学習に励んで生きてゆく。
 であるから、合法的な契約によって合法的にもたらされる、譲歩・協力・支援環境・生産設備・促進設備、の獲得以外には、譲歩・協力・支援環境・生産設備・促進設備、など得られない中で、合法的に、自分の能力の効率的な増大の仕方やどのような形態の商品に成果を結実させて、どのように販売してゆけば、合法的に自分の、利益・利得、を最大化してゆけるか、を考えて、それを効率的に実践して生きてゆくことが必要である。

 規準が、受益保証的に作用する状況でも、あるいは、その規準が、自己抑制的に・自己制限的に・不利益的に、作用する状況でも、その規準が、正しい・適正な・公正な、規準である以上は、その規準を遵守して生きる。
 それが正しい生き方であり、正しい思考であり、許されている生き方である。
 それ以外の生き方で生きることは許されないし、犯罪である。
 であるから、自制して、何としても、合法的に、適正に、許されている生き方で生きてゆく。
 その生き方の中で、能力・技能、を身につけるための学習にできるだけ時間を費やして、能力・技能、を高める。
 なんとか、能力・技能、が高まって、成果物が完成できてゆけば、自己抑制的・自己制限的・不利益的、に作用していた先の規準が、その同じ規準が、今度は、正当な成果物があることで、受益保証的に作用することとなる。
 そのようにして、適正・公正、な規準を、自分の、味方にして生きてゆける状況とするために、学習がちに生きてゆく。
 そのためには、状況次第では、長期にわたる学習が必要であったりする。
 適正・公正、な規準が、自分にとって都合のいいものでないのは、自分の、能力・技能、成果物、が不足しているからである。
 それはつまり、能力・技能、成果物、を形成するための学習の立ち遅れ、取り組みの不足、が原因である。
 それは自己責任である場合が多い。時間の使い方が不適切なのである。
 自分の生活を、学習がちの生活に改良してゆく。それを長期にわたって継続してゆく。そうすることで、活路が拓かれてゆく。