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不可避に再現性のあるサイエンスのルールと法律に基づいて決定するのが公正な方法

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Copyright © 2022 TAKEHANA TADASHI
著作日時: 2022.07.06. 22:17:00
不可避に再現性のあるサイエンスのルールと法律に基づいて決定するのが公正な方法:
 信教の自由は、気休めの自由、気休めにどんな理論体系をを使用するかの自由である。
 宗教、宗派が、不可避に再現性のあるサイエンスのルールや法律に反する主張をした時に、不可避に再現性のあるサイエンスのルールや法律を超越して、宗教、宗派、が主張する、ルール、規準、対応関係、採用するということでは・認めるということでは、決してない。
 社会、世界、の中で成立する事象の、評価、判定、処遇の決定には、不可避に再現性せのあるサイエンスのルールと法律が最優先する。
 まして、霊能者の主張する対応関係や判断、裁定、認定、に服するなどということはあり得ないことである。
 民主的選挙によって選出された代表者によって構成された国権の最高機関である国会で議論されて決定された法律であればこそ、正当性があり、法律には服することが強制される。
 また、そのようにして制定された法律に適合した合法的な契約であればこそ、その契約の履行が義務とされることに正当性がある。

 ただし、現行の国会での議論のあり方には、欠陥がある・問題がある。
 多数決は、正当性のある合法的な提案に対して行われるべきことであって、正当性のない非合法な提案であるなら、多数決によらず、正当性のない非合法なものであることによって、否定、排除、抹消、それるべきである。
 議論によって、正当性があり合法的な提案であるかそうでないかを判明させて、正当性があり合法的な提案であるなら、多数決にかけて採否を決定する。正当性がなく非合法なら、多数決にまわすことなく、規準関係上不適正なものであることをもって、否定、排除、抹消、されなければならない。
 そうであってこそ、議論することに、意味、価値、が存在する。
 正当性があって合法的であろうがそうでなかろうが、多数決によって決定するのでは、多数派の意見が常に通り、議論することに何の意味も価値もない。議論することに、意味や価値を存在させることのない何が何でも多数決で決定するというのは、法治主義に反する・立憲主義に反する。正当性があって合法的であろがそうでなかろうが、とにかく、最終的にすべて多数決によって決定するというのは、多数派の横暴を許す不当なやり方である。法治主義・立憲主義、反するやり方である。
 そのようなあり方は、欠陥である・問題である。そのようなあり方は間違っている。訂正されるべきである・改善されるべきである・修正されなければならない。

 また、問われた論点に対して、ムダなく正確に応答することが要求される。問われた論点に対しての答えになっていない答弁に対しては、質問者の持ち時間を消費させてはならない。
 問われた論点に対して、正確にムダなく答弁した分の時間についてだけ、質問者の持ち時間は消費されるべきである。

 鋭い質問に対して、質問に対しての答えになっていないことを述べて、それによって質問者の時間を消費させて、質問者の発言を終了させて、そのようなことで全質問者をやりすごしたらそのあとは、正当性があろうがなかろうが適法であろうがなかろうが多数決を行って、採否を決定してゆく現在の方法は不当であり全く許されないものである。
 国権の最高機関でこのようなめちゃくちゃなことをして、それを議論によって決定している、というのは、許されざるべきことである。

 そういう、問題・欠陥、はあり、それは修正されるべきことであるが、それにしてもどうともしようがなく事態は実勢上の展開のままに進行しているわけで、法治国家であるのだから法律には服することが強制される。
 不可避に再現性のあるサイエンスのルールは、その対応関係は、否応なく不可避に再現するものなのだから、それにしたがって、成立事象を判定してゆくのことで適正な正当な実態の把握に至れる。
 正確な実態の把握に対して、法律を適用して、評価、判定、処遇、を決定する。
 それが正当、適正、な合法的な判断である。正当、適正、な合法的な判断には服することが強制される。

 ちなみに、サイエンスのルールに分類されていても、不可避に再現性のあるものではないサイエンスのルールは、その対応関係を使用して推論を進めても、事実実態に一致した内容がもたらされる保証はない。
 であるから、個別の事例における事実実態を確定するためには使えないものである、不可避に再現性があるものではないサイエンスのルールは。
 正確に事実実態を確定するために有益なのは、不可避に再現性のあるサイエンスのルールである。