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合法的な自己利益の最大化を追求することについての話

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Copyright © 2022 TAKEHANA TADASHI
著作日時: 2022.03.08.火. 23:07:00 著作者、竹花 忠
合法的な自己利益の最大化を追求することについての話:
 合法的な自己利益の最大化を追求することを目的に設定するのは、事の展開上・論理的に、その方がより有利に事を進めてゆける可能性が高いからである。
 ドーパミンが出すぎたことによってなされる選択というわけでもなければ、気分が、陽性化・高揚化、したことによってなされる選択というわけでもない。
 客観的にいって、自己利益の合法的な最大化を目指して生きた方が有利に事を進めてゆける可能性がより高まるから、合法的な自己利益の最大化を目指すことを、目的にする・目的として選択する。
 たとえば、缶詰が10缶あって、何個でも持って行っていいよ、となった時、5缶でやめてしまうより、10缶全部もらった方が、招来の食料不足のリスクに対してより有利に生きてゆける。
 ただし、特をするための方法が単純ではない場合もある。
 たとえば、詰将棋がそうである。絶大な利益である玉の入手のためには、惜しげもなく、特定の仕方で金品を放出する必要があったりする。絶大な利益である玉が入手できることになるように、金品を放出しつつ、また一部、金品の取得もしつつ、巧みに事を進めきれた者だけが、絶大な利益である玉の入手が果たせたりする。
 であるから、合法的な自己利益の最大化を追求するというのは、どんな時にも単調に露骨にがりがり亡者的に、目先目先の損得勘定においてその都度、最大の利益を取得することを選択してゆけばいいということではなかったりする。
 詰将棋において最大利益を獲得する時のように、途中、適材適所で・適宜、必要な損をしつつ結局は、絶大な利益を取得できてゆくことになるように、クレバーな頭脳プレー゛か求められる、場面・状況、というのもある。
 詰将棋的な、クレバーな頭脳プレーを要することもあることを含めての、合法的な自己利益の最大化の追求をすることが大切である。
 その事を、合法的な自己利益の最大化の追求、という一言で言っている。
 決して、目先目先において、最大限に利益をむさぼるだけで、成功できると言っているのではない。
 ただし、将棋でもそうだが、稼げば稼ぐほど、より大きな稼ぎを得やすくなるのが普通である。
 不必要に、奇をてらったことをしたり、奇手を(連)発することを奨めているのでもない。
 王道は、着実に利益を積み上げ続けてゆくことを、主流・軸・基調、として生きてゆくべきと考える。
 合法的な自己利益の最大化を追求するというのは、そういうことである。
 一時的に損をする行動を取ることもあるにせよ、それに対して十分以上の見返りが得られる見通しがないなら、損をする行動をあえて取るべきものではない。ことの展開上、合法的には、損することが回避し得ようがない状況にあっては、仕方なく損をする行動を執らざるを得ないということもあるが。その際にも、その先々の展開を推定して、できるだけ自分とってより有利な展開に到達することにつながる行動を執る。目先だけにおける損の小ささを選択するのではなく。
 合法的な自己利益の最大化を追求するというのは、当然、そういうことも含んだことである。
 追求しさえすれば、必ず叶う、という性質のものではない。
 しかし、追求せずにいては、なお一層、叶えられる可能性は低下する。
 であるから、合法的な自己利益の最大化を追求して生きてゆくのが正解である。