Copyright © 2021 TAKEHANA TADASHI
著作日時:2021.07.15.木. 01:04:00 著作者:竹花 忠
将棋の基本:
将棋においては、盤面を見つめて、その先の変遷展開を考える。
その際、自分(=竹花忠)の場合には、見えている盤面の映像に、一手指し進めた時の映像を、オーバーラップさせている。
ただし、変化のない、部分・部局、については、オーバーラップはせず、眼で見えている映像だけを使用している。
1手進めて、変化した部分については、肉体の眼と心の目とで、別々の盤面の映像を見ながら、思考・確認、を進めてゆく。
眼で見えている盤面の映像とは違う、イメージで作り上げてオーバーラップさせている方の映像が、本当のもの・信じるべきもの・採用すべき映像・優先すべき映像・点検検証の対象とすべき映像、であるんだ、と、心の中で念じつつ・心の中で思いつつ、二重写しの、映像・イメージ、を使って、思考・確認、を進めてゆく。
だから、イメージで作り上げている方の映像をさらにもう1手指し進めた時のものに変化させる。移動させた駒については、イメージで映像を作り上げてオーバーラップさせる、眼で見て得られている映像の上に。
眼で見て得られている映像ではなく、イメージで作り上げてオーバーラップさせている映像や補足情報を優先させつつ、眼で見て得られている映像と、合成解釈して、点検検証すべき映像を取得する。
補足情報としては、取り去られてしまった駒や、移動してしまった駒、に対しての、この駒はもう存在していない、という情報が補足情報である。
あるいはまた、この駒は味方の持ち駒に追加になったとか、敵の持ち駒に追加になったとか。
駒台の上の駒についても、取った駒をオーバーラップしたり、使用した駒について、使用済みという補足情報を付加したり、ということをする。
オーバーラップした映像や補足情報は、眼で見えている映像よりも優先して取り扱ってゆく。
そのようにして、眼で見えている映像と、イメージで作り出してオーバーラップさせている映像と、補足情報と、を合成解釈することで、正しく局面の変遷展開が把握できる。それによって、適正に、思考・確認、が進めてゆける。
ただし、確認すべき変遷展開は多岐にわたる。
そのそれぞれについて、存分に何手先までも、取り違えなく、眼に見えている映像とイメージで作り出してオーバーラップしている映像と補足情報とが、適正に合成解釈しつづけてゆけるわけではない。限界がある。
なので、それなりの決着局面まで辿り着けずに、その先どう転ぶかまだわからない局面を使用しての比較判断によって、今、眼で見ている局面での1手を決定する時もある。
だから当選、適正な手でない可能性が高くなる。
あるいはまた、辿り着けた各局面までで一応の決着がついていると思えている。この先、違う結果に変転することはないだろうと考えられる。そのような状況で比較判断が行えた上で手が決定できている時もある。
しかし、一応の決着局面と思えた局面が、実のところは、まだどんでん返しが控えている局面であった。そのために価値に決着すると思って指したその手が元で負けに決着することもある。
そんなこともあるから、なかなかままならないのが将棋である。
それにしても、将棋を指すたびに常々、合目的的なイメージをオーバーラップさせたり補足情報を付加したりして、合成解釈しては、次々に変遷展開を進行させて確認を進めることをしている。
そのおかけで・その効果で、簡単な局面なら、少しその局面を眺めているだけで、何手が先までの変遷展開が、眼で見ている盤面の映像にオーバーラップして、瞬時に・短時間に、変遷展開し、瞬時に・短時間で、その何手か先の局面が確認できる、ということも成立することともなる。
程度の差こそあれ、1年も熱心に将棋に取り組んでいれば、そういう能力は自然と身に付くものと考えられる。
自分(=竹花忠)は、中学2年の時には、前述の能力は身に付いていた。ちなみに、その頃の棋力は、アマチュア2級くらいであった。
将棋盤上の映像の上に、そこから指し進めることでこう変化するという部分映像を、補足情報と共にオーバーラップして合成解釈する能力は、将棋を指す上での基本的な能力であると考える。