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新しい内容を保持するための意識スペースが飽和してしまうと失調してしまうので

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Copyright © 2020 TAKEHANA TADASHI
著作日時: 2020.11.13.金. 00:56:00 著作者、竹花 忠
新しい内容を保持するための意識スペースが飽和してしまうと失調してしまうので:
 オーバーフロー・オーバーヒート・意識スペースを超過した情報の導入・注意力の暴走によってムダに注意力を消尽・思考コンディションの崩壊&熱感的融解感覚、を招来してしまったら、注意力・意識、の拡散、暴走、迷走、撹乱、惑乱、混沌、を招来してしまったら、一旦、思考を止めて・思考を停止して・考えることをやめて、頭を・意識を、クールダウン・沈静化、することが、有効・必要、であったりもする。
 一旦、思考を停止して、クールダウンする・沈静化する。まず頭の中の、惑乱を鎮める・嵐を鎮める・混沌とした状況を鎮める・熱感的融解感覚を鎮める。
 それから必要に応じて、適宜、取り組みをしなおす。
 一旦、思考を取りやめて、休憩を取って、沈静化・平常化、することも大切である。そのあと、思考に再度取り組みなおす。
 しかし、それでもまた頭の中が惑乱、混沌化してきて、失調しかけてきたら、下記のように意識を働かせて、思考を立てなおしてゆく。
 必要なことは何なのか。
 そして、今やっていることは必要なことなのか。
 必要なことでないなら、必要なことに取り組みを変更する。
 そういうことを、しっかり自覚、しているか・できているのか。
 神経衰弱のためか老化のためか知らないけれど、不意に、ただぽかんとしてしまって、わけもなく行きずりの行動を継続して実行してしまっているだけ、はっきりとした自覚もないままに、みたいなことだったら、それは修正する必要がある。
 そのためにはまず、次のようなことを自問自答してゆくことである、心の内ででも。
 今、自分は何のために何をしているところなんだ。
 今、自分には何が必要で、そのためには何をしなければならないのか。
 そういうことを、心の内で自問自答して、それを明確に意識しておくべきである。
 こういうことが必要でそのためにこれを行うんだ、という意識をしっかりと固持しつつ、必要な取り組みの遂行を進めてゆく。
 そういう意識の働かせ方、そういう意識を働かせて、明確に意図を持って、合理的な取り組みにまい進していゆく。そういう取り組みの仕方が必要である。
 この目的のもとにこの合理的な行動を執っているんだという自覚のもとに、その行動が遂行されていっている、ということが大切である。
 正体なく、意味不明で、意図不明で、なりゆきで行きずりの行動を、それが合理的なものなのかそうでないのかもわからないまま、無闇に続けているというのでは、生産効率が上がらないというか、合理的な行動がピンポイントで行えていない可能性が高い。不全な状態であり回避すべき状態である。

 そしてまた、上記のこと以外に・余念に・ほかのことに、思いを馳せないこと。
 上記のことだけに専心して、そして、処理が済んだなら、上記の専心していたことを、解除する・解放する。
 そして、スッキリした意識状態を回復させてゆく。今度はスッキリすることに専心して、余計なこと・余念・別のこと・他のこと、に、思いを巡らせない・思いを馳せない。
 どんどん意識しておくべきことを減らしていって、空白を増やして・余力を増やして、スッキリした意識状態を回復させてゆく。
 そういう方針で・スッキリさせてゆくことを目指す方針で、意識で、事を進めてゆく。
 事を進めていて、その事の性質上やむを得ず、参照すべき必要が生じてしまった場合にだけ、つまり、参照することが必要不可欠なものが生じてしまった場合にだけ、そのものにアクセスして参照する。つまり、物の本を探し出して当該箇所を参照する。
 それ以外は、極力、あれやこれやと切実な必要性のないものを参照することはしない。参照することが必要不可欠であるもの以外は参照しない。注意・意識、を向ける対象を、切実な必要性もなしに、不可欠な必要性があるわけでもないのに、拡大してゆかない・増やしてゆかない。
 あれにもこれにも、注意・意識、を向けることを目指すのではなく、取り組みを済ませたら、それに対する、注意・意識、の集中を、解除して・解放して、注意の対象・意識を向ける対象、をどんどんと減らしてゆく。そして、どんどんと余力を拡大させて、どんどんとスッキリした意識状態を回復させてやる。スッキリとした意識状態を回復させることを目指して取り組みを進める。
 そうすることで、注意力・意識、の拡散、暴走、迷走、撹乱、惑乱、混沌を回避する。
 頭の中が思考でいっぱになること・意識の飽和、は目指さない。
 目指すべきは余力の拡大、意識がスッキリすこと、である。
 ただ、もちろん、読書を進めるにつれて、あるいは、思考を進めるにつれて、知識、情報が、意識に投入されて、不可避に、意識の飽和に近づくことになる。意味不明のことばや定義を忘れてしまったことばに出くわせば、物の本を探して当該箇所を参照することが必要である。どんどんと意識の飽和に向かって進んでゆく。
 済ませてしまってスッキリすること、余力を拡大すること、を目指すとは言っても、学習、思考、の進展につれて、当然、意識の飽和に向かって突き進む。
 しかし、飽和し超過すれば、注意力・意識、の拡散、暴走、迷走、撹乱、惑乱、混沌、を招いて、合理的論理的思考が不成立になる。
 であるから、極力、ムダに、意識を飽和に向けて突き進ませないように、してゆこうということである。
 また、定義なり情報、知識、なりが、短期記憶・長期記憶、になって所持できてしまえば、新しい内容を保持するための意識スペースを消費することなく、新しい内容を保持するための意識スペースを飽和させてしまうことなく、思考が進めてゆけることになる。短期記憶・長期記憶、になってしまえば、新しい内容を保持するための意識スペースを消費しないで、飽和に向けて突き進ませないで、制限なく自由にその定義なり情報なり知識なりを駆使した思考が進めてゆける。
 であるから、新出の定義、情報、知識、が頻出する文章の時には、インターバルを取りつつ、休憩を取りつつ、新出の定義、情報、知識、が、短期記憶・長期記憶、に転化させつつ、読み進めるのがいいかもしれない。
 短期記憶・長期記憶、になってしまえば、スッキリした状態で、新しい内容を保持するための意識スペースを消費せずに、新しい内容を保持するための意識スペースを飽和に向けて突き進まさせずに、その定義、情報、知識、が使用してゆける。
 文面を読み下してゆくなかで導入される内容、また、その際に、必要となる関連知識を想起、意識、する以外は、余計なことは考えないで、新しい内容を保持するための意識の飽和の到来を少しでも遅延させて、注意力・意識、の拡散、暴走、迷走、撹乱、惑乱、混沌の到来を少しでも遅延させて、合理的論理的思考をよりたくさん前進させてゆこうということである。