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追求すべき社会

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Copyright © 2024 TAKEHANA TADASHI
著作日時: 2024/04/13 01:51
 合法的な能力の優劣を人権の保証された状況の中で競って収益の多寡を争うにしろ、非合法な能力の優劣を人権の保証されていない状況の中で競って収益の多寡を争うにしろ、どちらにしても勝者は、大勝ちする者は、少数である。
 非合法に生きても、非合法集団の中で、使い捨てにされる者と使い捨てにする者が出てくる。搾り取られるものと搾り取る者が出てくる。
 どんな能力を、貧富を決める基準にするにしても、勝者と敗者は生まれる。大勝ち・大儲け、する者はほんの一部である。
 犯罪の能力を基準にして、犯罪の能力の高さによって、勝敗を決する・収益の多寡を決する、体制であっては、生産活動に従事していては犯罪者に略奪されてバカを見る社会である。従って、生産意欲は低下し、生産に従事する者は減って、略奪を繰り返す者がはびこる。なので、社会の富は低下し社会は衰退してゆく。そして、犯罪者であってもすべてが満足のゆくだけ潤うわけではない。犯罪者であってもすべてが金持ちになれるわけではない。社会全体の富は低下して停滞する。
 合法的な能力を基準にして、合法的な能力の高さによって、勝敗を決する・収益の多寡を決する、体制であれば、合法的活動、合法的生産活動、に従事していれば、人権が保証されている状況下では、市場で売れればそれに見合った収益が得られる。合法的活動、合法的生産活動、をしている者がバカを見させられることの少ない社会である。従って、生産意欲は維持、向上し、合法的活動、合法的生産活動、に従事する者は高水準で維持されてゆく。犯罪が厳しく取り締まられ、人権が保証されている社会では、犯罪者、略奪者、は減ってゆく。なので、社会の富は増大し社会は発展してゆく。ただし、合法的活動者、合法的生産者、であってもすべてが満足のゆくだけ潤うわけではない。合法的活動者、合法的生産者、であってもすべてが金持ちになれるわけではない。そうではあるが、犯罪者がはびこった社会に比べて社会全体の富は増大し発展する。その分だけ、ひとりひとりが獲得できるかもしれない富の期待値は高まる。
 どちらの社会においても、社会の富を均等に分配したとしたなら、合法的な人権の保証された社会の方が、より多くの富が得られる社会である。
 であるから、合法的な人権の保証された社会の実現を追求すべきである。