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詰将棋の解法

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Copyright © 2022 TAKEHANA TADASHI
更新版著作日時: 2022.05.01.日. 12:00:00 著作者、竹花 忠
詰将棋の解法:
<はじめに>
 以下に述べるのは、コンピュータープログラミング向けの内容ではなく、人がじかに思考して詰将棋に取り組む時のためのものである。
 ちなみに、自分(=竹花忠)の棋力は、アマチュアの3段くらいかと思う。
 現在の詰将棋の実力は、上級位者レベルであると思われる。
 ここ5、6年くらい、週1、で詰将棋を始めた。
 18年くらい前に一時、新聞の段位認定問題に取り組んで、5段に合格しているが、それ以外はここ28年、ほとんど将棋を指していないし、将棋の本もほとんど読んでいない。
 28年前までには、25年ほどの将棋歴がある。
 最近の将棋の定跡は全然わからない。過去の将棋の定跡も詳しいことは忘れている。なので棋力は実のところはアマチュア初段程度かもしれない。
 下記は、自分(=竹花忠)のここ5、6年の詰将棋との取り組みで書き残したメモを元にまとめた内容である。

<用語の説明>
・早詰み(=はやづみ)、というのは、玉方の応手が、最善ではなかったために・まずかったために、最善の応手で・うまい手で、対応した時よりも短い手数で玉が詰んでしまうことである。
・壁(=かべ)、というのは、玉の近傍の位置に玉方の駒が位置していて、そのために玉がその位置に、逃げ出してしまえない・移動してしまえない、ことを指して言う。
・詰んでいる(=つんでいる)、というのは、玉がどこに移動しても、あるいは、玉方のどの駒をどこに移動させても、次に、玉が攻め方に取られてしまう状態であることを言う。
・王手(=おうて)、というのは、攻め方の駒の効きが、玉方の玉に到達する位置に、攻め方の駒が配置された状態をいう。
 詰将棋は、攻め方と玉方が交互に手を指し進めてゆく。つまり、攻め方と玉方が交替で、自らの側のある1枚の駒の配置をルールを遵守して変更して進めてゆく。
 そして、攻め方と玉方が交互に指し進めてゆく中で、攻め方自らの手番の時に、王手の手だけを指して、玉を詰ますと、成功である。
 将棋盤上に、自らの側のある駒1枚を使用して、ルールを遵守して、駒の配置の変更を行う。それを、手を指す、という。
・交互に、自らの側のある駒1枚を使用して、盤上の駒の配置に変更を行うわけであるが、その変更を行う順番の時を、手番、という。
 自らの手番といえば、自らの側のある1枚の駒を使用して盤上の駒の配置の変更をする時、のことである。
 相手の手番といえば、相手の側のある1枚の駒を使用して、相手が盤上の駒の配置の変更をする時、のことである。
・攻め方(=せめかた)、というのは、玉を攻撃している側のことである。
・玉方(=ぎょくかた)、というのは、玉が配置されている側のことである。
・ヒモをつけるとは、味方の駒に、別の味方の駒の効きを到達させて、味方の駒が取られた時に別の味方の駒で相手のその駒を取り返せるようにすること。
・ヒモなしの駒とは、味方の別の駒の効きがひとつも及んでいない味方の駒のこと。つまり、取られた時、取った駒を取り返せる味方の駒が存在していない状態の駒のこと。
・長射程の駒の以遠機能とは、長射程の駒の効きを遮っている駒が長射程の効きの延長線上を遠くへ移動した時、延長線上のその遠くの地位にまで長射程の駒の効きが及ぶこと。
 なので、角の後方の効きが相手の金で遮られていて、その角の効きの延長線上のその金のひとつ遠くに味方の桂があったら、相手の金に桂が取られた時に角の効きがそこまで及ぶので取った相手の駒をすぐに取り返せる。
 つまり、長射程の駒だと、間に相手の駒を差し挟んで、その先の味方の駒にヒモをつけたのと同等のことが実現できる。 
 これは、長射程の駒の以遠機能によって実現される。
 ちなみに、長射程の駒の以遠機能は、本書に特有の用語である。
・将棋は、玉(=ぎょく)、あるいは、王(=おう)、を先に取ると勝ちのゲームである。
 詰将棋は、取る手の2手前の詰んだ状態までで、成功・完成・勝利、とするゲームで、その際の手順が正解手順である。
 ただし、その際、攻め方にも、玉方にも条件が課せられている。攻め方は、王手を連発する。玉方は、最善の防御で応じる。それによって、最短手数で、しかも、持ち駒がなしで、詰みあがった状態が、成功・完成・勝利、で、そこまでの手順が、正解手順である。
 それ以外は、詰将棋は、将棋のルールと同じである。
 各駒の動かし方など、将棋のルールについては、別途、将棋の入門書を参照してください。
・応手(=おうしゅ)とは、前回の、片方の側の局面の変更に対しての、もう一方の側による局面の変更、である。
 局面の変更とは、もちろん、それぞれの側が、自らの側のある1枚の駒を使用しての盤上の駒の配置の変更のこと、である。
・当たりを掛けるとは、次の手番で、相手の駒を取ることが可能な状態にすること。
 金に当たりを掛けるとは、相手の金を次の手番の時に取ることが可能な状態にすること。つまり、相手の金に、味方の駒の効きを到達させた状態にすること。
 両当たりとは、相手の2つの駒のどちらか好きな法が、次の手番の時に取れる可能性のある状態であること。
 つまり、り相手の2つの駒に、味方の駒の効きが到達している状態のこと。
 金に当たりを掛けるとは、金取りを掛けること。
・両当たりを掛けるとは、両取りを掛けること。
 当たっているとは、相手・敵、の駒の効きが、もう一方の側の・他方の側の、駒に到達している、こと・状態、を言う。
 金に当たっているとは、相手・敵、の駒の効きが、もう一方の側の・他方の側の、金に到達している、こと・状態、を言う。

<失敗での打ち切りをムダに先延ばししない>
 待ち伏せしている駒・抑えの駒、が存在しなくなってしまって、つまり、それらの駒が討ち払われてしまったり、あるいは、玉が、そこを通過してしまって・そこを突破してしまって。
 その上、並べ詰みというか、ヒモ付き王手の連続での詰み、というか、にしてしまえるだけの、戦力・投入できる駒の枚数、が足りてしない。
 となれば、それは、ほぼ包囲網の破綻、実質的に青天井になってしまっている。
 つまり、まず、玉を、詰め上げられることはない・捕まえられることはない。
 そんな見当で、詰み無し、と判定し、見切りを付ける。
 所定の詰め手数に達していなくても、上記の条件で見切りをつけて、それから先は点検検証しない。
 また、所定の詰め手数に達して詰んでいないなら、その先、詰もうが詰むまいが失敗であることは確定しているわけで、先の点検検証の必要はない。つまり、所定の詰めてすうを過ぎたら調査打ち切りである。
 包囲網が破綻して実質的に青天井状態になっていてもう詰む見込みがなくなっているのに、あるいはまた、所定の詰め手数を過ぎているのに、延々と、玉を大駒で追い掛け回すのはナンセンスの極みである。時間の無駄である。
 何回か・何回も、点検検証して、早く、こんな感じになったら、包囲網の破綻・実質的に青天井状態、なんだな、というのが見極められるようになれば、ムダに玉を追い掛け回すことに費やす時間が節約できる。

<詰将棋では捨て駒が多用されがち>
 持ち駒にしても盤上の駒にしても、攻め方の駒は、玉方の駒を目的の位置に、移動させるためのリソースである・移動させるために役立てられるべきものである。
 玉方に取らせることで移動させるにしても、玉方を追い上げることで移動させるにしても。
 つまり、攻め方の駒が追加されずに、玉方の駒の位置のみ変更できればいい時には、捨て駒が、有効・最適、である。
 また、攻め方の駒が追加された上に、なおかつ、玉方の駒の位置も変更したい時には、攻め方の駒が、取られない・残置される、攻めである必要がある・追い上げる攻めになっている必要がある。
 なので、玉方の駒の位置の変更だけで十分な時には捨て駒の攻めで十分である。捨て駒で充足している・捨て駒による攻めで充足している。
 つまり、捨て駒による攻めが、100%思いを達してくれている攻めである時がある。
 なので、取られること・捨てること、に、拒否反応・拒絶心、を持ってしまわないことも大切である。
 もちろん、終始取られっぱなしでは詰み上げられないわけではあるが。
 指し手のうち、50%は、取られる手・取らせる手、で、それで、詰め上げるということも詰め将棋ではザラにある。
 なので詰将棋゛ては、取られること・取らせること、を、あまり過敏に嫌わないことが大切である。
 詰将棋では特に、取られる手・取らせる手、も、100%思いを達成している手の1つであるという考えを持つことが大切である。
 だから積極的に、取られる手・取らせる手、を点検検証してゆくことが、詰将棋では、必要である・求められる。
 追い上げる攻め手を、追求するだけでは片手落ちになる。
 詰将棋では特に、取られる手・取らせる手、で、形を変える攻めも、是非とも点検検証してみるべぎである。
 持ち駒、盤上の駒、は、盤上に残置されて役立てられるべきものである場合もあるが、捨て去られて役立てられるべきものである場合もある。
 つまり、捨て去って、駒の位置を変更させることのために使われて役立てられるべきものである場合も結構多い。
 攻め方の指し手のうち50%くらいは、捨て去ることのために費やされると思ってもいいかもしれない。
 詰将棋では、取られること・取らせること、を毛嫌いする過敏反応を捨て去ろう。
 詰将棋では、むしろ、積極的に、取られる手・取らせる手、を点検検証してゆこう。
 ただし、青天井を形成してしまうことの起きないような、取られる手・取らせる手、であることは必要である。
 駒を捨てる際には、壁を形成させたり、守備駒を引き剥がしたり、玉を守備駒から引き剥がしたり、合い駒効かずの王手の形を形成させたり、ヒモ付き王手が掛けられる位置に誘導したり、するための捨てこまであることが、一応のヒューリスティックな、指針・目安、である。
 詰将棋とは、通常、取られる手・取らせる手、と、残置する手・取られない手、とを、どちらかから不定数ずつ交互に指し連ねて、そして、最後は、残置する手・取られない手、で詰め上げるものである。
 つまり、大概、取らせる手・取らせる手・捨てる手、が含まれているのが詰将棋である。
 なので、取られる手・取らせる手・捨てる手、の点検検証が、通常、必要である。
 取られる手・取らせる手・捨てる手、の出現比率も、相当に高い印象・平均で50%くらいにもなろかという感じ、である。
 なので、大方の詰将棋にあっては、取られる手・取らせる手・捨てる手、の点検検証は欠かせない。

 基本的に、王手をかければ、ヒモ付きでないなら、玉方の駒によって取られることになる。
 もし逃げれば、王手をかけた駒の効き筋を拠点にして、玉を追い上げる攻めが後続することになるから。
 なので、ヒモなし王手には、玉方の駒を、その位置に移動させる効力がある、通常。
 この捨て駒の、効力・効果、によって、玉方の駒を、自在に操って、詰みへと・詰みの形へと、至らせてゆく。
 つまり、玉方の駒を位置させたい位置から、捨て駒の王手をすることで、玉方の駒を思いのままに操る。
 これが、終盤・詰将棋、ならではの、多用されがちな攻め方の規準である。
 駒を取りつつ、あるいは、駒得をしつつ、ということを含んだ手順で詰み上がることもある。しかし、終盤・詰将棋、で第1に考えるべきは、駒得すること・駒を取ること、ではなく、玉方の駒を思いのままに操ること、そして、玉を詰め上げることである。
 そのためには、駒をうまく捨てて、玉方の駒をうまく操って、詰みの形へ・詰みへ、持ち込むことである。
 将棋は、駒の、収支・損得、で勝ち負けが決まるものではなく、玉を詰め上げたかどうかで勝ち負けが決まる。
 終盤・詰将棋、にあっでは、中盤までに蓄えた・それまでに蓄えた、持ち駒なり盤上の駒なり、を、うまく使って・うまく使い捨てて、玉方の駒をうまく操っていち早く玉を詰みに持ち込むのが目的である。
 特に、詰将棋にあっては、持ち駒をすべて使い尽くして玉方の駒をうまく操っていち早く玉を詰みに持ち込まなければならない。
 玉方の駒を、うまく操るための・思い通りに操るための、基本は、捨て駒である。
 終盤は、稼ぐことよりも・得することよりも、玉方の駒を詰み形に向けて、うまく操ること・思うように操ること、により大きな比重がある場合が多い。
 特に、詰将棋にあっては、持ち駒を使い切って終了するわけで、いかにうまく使い切るか、それは多くの場合、いかにうまく捨て切るか、つまり、いかにうまく玉方の駒を操り切るか、が問われている・ということである。
 駒台に駒を残して終わる道など存在しない、詰将棋には。
 盤上の駒なり持ち駒なりを駆使して、その場合多くは、どう捨て駒をして、いかに玉方の駒を思い通りに操って速やかに詰みに持ち込むか。
 これが、終盤・詰将棋、における第1義の攻め方の規準である。
 それがわかっていなくて、中盤の攻め方の規準を引き摺りつづけていると、自ら自らの足元をすくってしまって躓くことになる。
 駒得をすること、捨て惜しみをすること、なるべく味方の駒は取られないようにすること、取れる駒はどんどん取ること。
 このような中盤の攻め方の規準を捨て切れずに引き摺りつづけていると、なかなか捨てる手に踏み出せない。捨てる手の点検検証が進まない。的確な捨てる手を除外した手についてばかり、それ以降の手順をしらべているばかりになってしまいがち。
 取れるけれども取らない手、捨てなくても済ませられるけれどもあえて捨てる手、こそが、正解手順中の手であることがある、特に、詰将棋では。
 それは、捨て駒によって、玉方の駒を思うままに操って詰み形へと持ち込んでゆく、という、構想・世界観、のもとに作られている詰将棋の、問題・出題、が多いからである。
 だからそこのところをわかって、中盤の攻め方の規準を引っ込めて、終盤・詰将棋、にあっては、いかにうまく捨てていかにうまく玉方の駒を操って詰み上げてしまうかということを、攻め方の規準の第一に据えて、思考を巡らせてゆくことが大切である。

<損失枚数の計算、投入戦力の計算>
 1枚捨てても、盤上の駒を1枚王手に参入させられるなら、差し引き損失0である。そして、結局、2枚の戦力投入である。
 1枚捨てても、盤上の駒を2枚王手に参入させられるなら、差し引き1枚の得である。そして、結局、3枚の戦力投入である。
 であるから、2枚捨てても、盤上の駒を2枚王手に参入させられるなら、差し引き損失0である。そして、結局、4枚の戦力投入である。
 投入戦力を尺度にすると、捨てた駒の枚数にかかわらず、盤上から王手に参入できた駒の枚数だけ戦力は増大する。
 損失しながら・損失しても、有利な形、を形成して・に誘導して、そして、詰め上げるという場合もあるが、盤上の駒の王手への参入を得て、損失を抑えつつ攻めを継続させて詰め上げる、という場合もあり得る。

<詰めの妙手>
 攻めた駒を玉方が取ったら、玉が早詰みする。なので、その攻め駒は取られない。そうい攻め手は、正解手順中の手であることが多い。
 この一着に対する応手のほとんどが(意外なことに)早詰みばかりで、(最も長く)命脈をつなぐ手順につながる応手はわずかばかりしかなくて、ということになっている一着が、正解の一着である場合が多い。
 従って、点検検証によってそのような一着を見つけ出して、その一着からの(最も長く)命脈をつなぐ応手を見つけ出して、さらなる、調査・点検検証、を進めてゆく。すると、正解手順が見出せてゆく場合がある。
 また、早詰みを形成する、変化手順中の詰み形と・補助手順中の詰み形と、最終の詰み・本筋の詰み、を形成する本来の詰み形がある。
 早詰みを形成する詰み形は、早詰みなので、玉方が棄却するから、正解手順には現われない。水面下に位置することになるものである。ただし、正解手順の検討中には、実地に点検検証するものではある。

<手順前後、また、早詰み手順から掘り下げてゆく>
 手順前後を考える。
 指し手Aからのやり取りをしてから指し手Bからのやり取りをしても、指し手Bからのやり取りをしてから指し手Aからのやり取りをしても、どちらでも同じ結果・どちらでも同じ局面、になると思えても、実は、指し手Aからのやり取りから始めるか指し手Bからのやり取りから始めるかで、双方が自らの利益を考えて事を進めた時、異なった結果・異なった局面、となってしまう場合がある。
 だからその余地がないか試して確認してみる必要がある。
 手順前後によって、まるで展開が違ってくる場合がある。手順前後によって詰みへの活路が拓かれる場合がある。
 手順の検討を開始するには、たとえば、早詰みの手順から出発して、その変化の手順へと進めてゆく。
 つまり、まずは攻め方の自分にとって都合のいい応手から調べてゆく。
 そして、詰むことを確認して、それでは都合がよすぎるだろうということで、別の応手・変化、からの手順の確認に進んでゆく。
 そうして、それでもなお詰みあがるなら、あるいは、ほかに都合の悪い応手がないなら、それが正解手順である。
 しかし、詰むどころか、早詰みするどころか、一向に詰まないなら、そんなことになってしまわせてしまう攻め方の手は、見込み無しの手・変更すべき手、ということ。
 別の攻め手からの手順の点検検証に進んでゆく。
  すぐに白黒が判明させられそうな応手から調べていった方が、次々に決着がついてスッキリできていい。
 ムダならムダ・ダメならダメ・うまく行き過ぎならうまく行き過ぎ、と決着がどんどんつけれて、既済が積み上がって、それによって、狙いが・ターゲットが・対象が、どんどん絞り込めてゆく。
 スッキリしながら、どんどんと、狙い・ターゲット・対象、の絞り込めた高みに突き進んでゆける。
 そのためには・だから、すぐに決着のつけられそうな手から調べてゆく。

<イージーケースからどんどん手を絞り込んでゆく>
 包囲網からの脱出達成を招く手は没である。であるから、早詰み手順からではなく、早々に脱出達成を招く手をどんどん見つけて、それが没であることをどしどし確定してゆく。
 そういうことで、狙い・対象・ターゲット、を絞り込んでゆくのも有効である。
 早詰みから調べてゆくのでも、攻めの破綻から調べてゆくのでも、どちらからでも構わない。
 また、平凡な手からは詰まないこと・平凡な手順では詰まないこと、の確認から始めるのもムダではない。
 対象を・手を、絞り込む上で、有効・有用、である。

<はまり込み・バリエーションの放逐・可能性の放逐・視点の狭窄、からの脱却>
 取られると、包囲網が破綻してしまうので・青天井を形成してしまうことになるので、その駒の、救援・救護、が必要である。
 その時、あるひとつの、救援法・救護法、が見出せた。その、救援法・救護法、が唯一無二のものだと思い込んでしまわないこと。
 さらにもっとほかに、救援法・救護法、がある場合がある。
 そして、最初に見つけた以外の、救援法・救護法、が正解手順中のものであった場合、最初に見つけたものに、囚われてしまうと・はまり込んでしまうと、正解から乖離してしまう。
 なので、さらに別の・さらにほかに、救援法・救護法、はないか、慎重に追加調査することが必要である。
 不正解手順中の、救援法・救護法、に拘泥されて盲点にはまり込んでしまわないために。
 たとえば、救援・救護、したい駒に寄り添って、その駒にヒモを付けて、救援・救護、する手を発見したからと言って、それだけに目が奪われてしまうことなく、さらにほかに、長射程の駒の以遠機能によって間接的にヒモを付けて、救援・救護、する手もある場合には、その手から以降の手順についても、しっかり点検検証してゆくことが必要である。

<未練を捨てて新規調査へ>
 最善の受けでない時の詰み上がり手順が見事だったからといって、その見事さに心を奪われて、その手順へのこだわり、あるいは、その手順がダメになったことへの、無念さ・残念さ、へのこだわり、に執着して、それ以外の手順の点検検証が疎かになり、正解手順が、照らし出されないでしまっている・検出されずにいてしまっている。
 それが長引くと、正解までの時間がムダに遅延してしまう。
 だから、破棄・棄却、される手順であることが確認できたら、諦念をしっかりと固持して、新たな手順の点検検証に速やかにまい進する。

 <詰将棋のテクニック>
 ・横方向に脱出口があったとして、脱出口から遠い方の桂の効きで王手。つまり、脱出口側に桂のもう一方の効きを残す。これによって玉を封じ込めへ。

 ・玉を、壁・包囲網、に引き寄せる捨て駒。

 ・玉を、攻めの拠点・攻め駒の効き筋の位置、に引き寄せる捨て駒。

 ・玉の周囲の脱出路を塞ぐ壁を作ることになる捨て駒。玉方の駒をそこに位置させて脱出口を塞ぐ。あるいは、攻め方の長射程の駒の効きを通して、その駒の効きで脱出路を塞ぐ。

 ・守備駒から玉を剥がす手。捨て駒で引き出すにしろ、攻め立てて追い出すにしろ。

 ・玉から守備駒を剥がす捨て駒。

 ・取ると早詰みを招くので取るに取れない手。

 ・合駒効かずのコンビネーションの攻めの成立を目指す手順。だから、合い駒効かずの王手をかけれる形にするために捨て駒をすることは、試してみる価値がある・行ってみる価値がある。つまり、その捨て駒をしてから以降の手順、変化、を点検検証してみるべきである。
  ちなみに、玉の隣接地点に攻め方の効きが、一方的に・単独で、存在する時は、効きがその位置を通過する長射程の駒での王手が、合い駒効かずになる。
  ただし、その手前に、玉方の駒の効きが存在する場合は、そこに合い駒されてしまうので、合い駒効かずにはならない。
  それにしても、桂以外での王手が合い駒効かずになるためには、玉の隣接地点に攻め方の駒の効きが存在していることが必要不可欠である。それだけで十分ではないにしても。
  玉の隣接地点に、攻め方の駒の効きが存在している形に誘導することが必要。しかも、長射程の駒で王手を掛けた時にその長射程の駒の効きが通過することになる、玉の隣接地点に攻め方の駒の効きが存在している形を、誘導・形成、することが必要。

 ・攻め方のこの駒が余計である。攻め方のこの駒が存在していなければ、簡単に詰め上げられるのに。という局面の時には、その余計な攻め方の駒だけが消し去れた局面に至れるうまい手順を工夫する。

 ・あと、詰将棋でありがちなのは、玉方の複数の駒の効きが集中している位置に、つまり、焦点の位置に、捨て駒すること。

 ・詰み上がり間際となれば、詰み形に引きずり込む捨て駒&とどめの一手、で詰め上げる。あるいは、詰め形に追い上げ&とどめの一手。

 ・さらに、打ち歩詰めになってしまう問題の場合にありがちなのは、成れる駒を成らないで攻め込んでゆく手順で、打ち歩詰めを回避して仕留める。
  あるいは、打ち歩した時の脱出路を作ってやって、その上で、打ち歩して追い立てて、詰みに持ち込む。

 ・駒の提供と引き替えに、相手の駒のその位置への移動を獲得する。
  それによって、相手の駒を、思う位置に移動させて・意図した位置に移動させて、詰み上がり(の形)へと導いてゆく。
  詰将棋とは、一面において、あるいは、部分的には、そのようなものであったりもする。
  捨て駒によって、相手の駒を意図した通りに操って、有利な形・意図した形、に駒の配置を組み替えて、そして、勝機を掴む・詰み上がりへと導く。

 ・密接した位置からの王手の場合、取ったら早詰みになるなら取ることはできない。
  だから、その場合には、取られてしまわないので、そこを起点に、追い上げてゆくことが・追い立ててゆくことが、できる。
  密接した位置からの王手の場合、取っても詰みにならないなら、取られてしまう。
  しかし、その場合は、取られた位置に相手方の駒を、移動させることが・誘導することが、できる。
  であるから、密接した位置からの王手は、取られないことにも価値があるが、取られてしまうことにも価値がある。
  詰み上げてゆくために・勝利へと導くために、今ここで必要なのは、追い立てることなのか捨てて誘導することなのか。
  密接した位置からの王手で、追い立てる手が正解なのか、捨て駒して誘導することが正解なのか、は、今ここで必要なのがどちらであるか次第のことである。

 ・ヒモなしで配置されてある駒に当たりがかかった時、長射程の駒の以遠機能によって、ヒモなし駒にヒモづけしつつその長射程の駒を捨てることで、ヒモなし駒を残存させる。
  それによって、残存したヒモなし駒を攻めの起点に使って攻めかかってゆくことが可能となる。

 ・金の打ち込みが必要な局面が現われることになるが、金の持ち合わせがない。
  その場合には、打ち込みが必要な位置に成り込めることになる位置に、持ち駒なり盤上の駒なりを、先着する・先着しておく。
  そうすることで、必要な時に、金を打ち込みたかった位置にその駒を成り込むことで金の打ち込みと同等の効果を得ることができる。

 ・大駒の効きを遮っている駒を、移動させる・誘導する、捨て駒するなどして。
  それによって、大駒の効き筋を通して、大駒の効き筋によって玉に対しての封じ込めを果たす。
  それをもって、玉の挙動範囲が狭まったところで、更なる追撃を加えて、詰め上げてゆく。

 ・以遠機能のある駒・長射程の駒、で、(一気の)封じ込めをするのが正解の場合がある。
  そのために、それが成立させられる位置に、玉を、誘導する・おびき出す。
  そして、以遠機能のある駒・長射程の駒、を隣接位置に直打ちして王手。
  場合によっては、これを多(連)発することも。
  この、以遠機能のある駒・長射程の駒、による王手自体で留めが刺されていることもあれば、この王手で、相当程度の封じ込めをした上で、さらに別種の王手を重ねて詰め上げることもある。

 ・壁を形成させるのに利用すべき玉方の駒を、攻め方の駒で取ってしまって、その攻め方の駒を次に取られてしまっての攻めだと、玉の脱出を遮る壁が不在のため玉に脱出されてしまう。
  壁がなくて脱出されてしまうのを阻むために、取れる駒を取らないで、壁の欲しい位置に・壁を形成したい位置に、捨て駒をして誘導して生き残らせて壁を、作らせる・形成させる。
  その上で、その駒が元居た位置に、何も取らずに、捨て駒して・空捨てして、攻める。
  そうすることで、1枚余分に駒を捨てることにはなるが、今回は、壁があるので・壁が出来ているので、玉の脱出が阻めて、後続の攻めで詰め上げてゆける。
  そのような、どっちみちその駒を捨てるのに、その前に、さらに余計に1枚駒を捨てた後に、その駒を捨てる。一見ムダに余計に1枚多く駒を捨てているように見受けられる。しかし、それがかえってムダではない。わざわざ捨て駒までして、タダで取ってしまえる玉方の駒を生き残らせておいて、しかしそれがかえって玉方に不利に働いて、つまり、生き残らされた玉方の駒が玉の壁になって、そのために玉が詰め上げられてしまうに至る。
  であるから、一見すると持って回ったような手を差し挟むことも、点検検証してみることが必要である。ムダなようでいてムダではないことになっている手がある。

 ・守備駒を玉の隣接位置に引き寄せて、そして、次に、その守備駒もろともに当たりを掛ける。
  その当たりを討ち払っても、それでも、詰めろの回避不成立のため、詰み上がりへ。
  そこで、その当たりに対して逃げ出せば、引き寄せておいた守備駒を取り込みつつの王手から詰み上がりへ。
  しかしそれを、捨て駒をして守備駒を玉の隣接位置に引き寄せることをしないで、単に王手では、玉が逃げた時に、守備駒を取り込みつつの王手が不成立。そのために守備駒が盤上に残存するので、守備力十分で、詰めろの回避成立で、玉を取り逃がしてしまう。
  なので、一旦、捨て駒をして、守備駒を玉の隣接位置に引き寄せて、その上で、もろともの当たりが、正解・正着。
  玉方の守備駒を、捨て駒をして、わざわざ玉の隣接位置にまで引き寄せてやるのは玉の守備力の強化を招くようであるが、その引き寄せた駒と玉とに、一緒くたに当たりを掛けると、その攻めを討ち払えない場合、そして、その守備駒の隣接位置にしか玉が逃げられない場合、引き寄せておいた守備駒を取り込んでの王手が掛けられることもある。
  その場合、結果的に、盤上から、守備駒を取り去ることが果たせる。
  つまり、盤上において、玉方の弱体化が果たせる。
  守備駒を玉の隣接位置に引き寄せずに単なる王手を掛けたのでは、玉に逃げられたあと、引き寄せられなかった守備駒は攻め方に取り込まれることなく残存し、守備力を発揮し続ける。つまり、盤上、守備力の弱体化が進まない。
  玉の隣接位置に玉方の守備駒を引き寄せてこそ、そのあとの両当たりでの王手で、玉が逃げざるを得なかった場合に、引き寄せておいた守備駒を取り込んで王手が掛けられるなら、玉方は、盤上からその守備駒を失って守備力が弱体化する。場合によっては、それにより詰みに至ることにもなる。
  この変遷・このストーリー、を辿れることになるか、頭の中でのシミュレーションによって確認を要する・確認してみる価値がある。
  上述は、確かに、詰みに至る、変遷・ストーリー、のうちの、1つなのだから・1つの類型なのだから。

 ・玉を、この位置に、位置させて・誘導して、そしてさらにもう1手攻め方の手を加えたら玉が詰みあがっている。
  そういう、展開・ストーリー・変遷、が成立しないか、探る・探す・頭の中でシミュレーションして確認する。
  あまり細々と実現の可能性にこだわらない。楽観的理想像的に、楽観的な理想の描写的に、玉をこの位置に、位置させて・誘導して、そしてさらにもう1手攻め方の手を加えたら玉が詰みあがっている、ということになる部分局面を探す。
  つまり、最後の詰めの1手の駒が不足しているにしても、あるいは、位置させたい・誘導したい、この位置、までは、1手では辿り着けないにしても、何かの拍子に駒が1枚補充できるかもしれない、何かの加減でうまく辿り着けるかもしれない、と、楽観的に考えて、楽観的理想的には、こういう、展開・ストーリー・変遷、で詰みあがることになるぞ、という部分局面を探す。
  それを初期局面の時に限らず、途中途中の局面においても、探す・行う。
  その思考を、習慣化、潜在化、意識に潜在的に埋設、することで、詰み形に、詰み形の発見に、敏感になれる・鋭敏化する。
  人間の脳には、気に掛けておいたことを、気に掛けておくことに決めたことを、無意識のうちに探索していて、それを発見すると、それが意識に上らせてくる、という、性質・機能、がある。
  単純なところでは、きょうは、赤色のものを探すぞ、と心に決めておけば、赤色のものが普段よりもよく目に留まる。
  また、両取りが掛けられる局面を見つけるぞ、と心に決めておけば、そうでなかった時よりも、両取りの局面がよく目に留まる。
  両取りの局面を見つけることは、常に必要なことであるので、もう、習慣化していて、意識に潜在的に埋設化されている。局面に目をやることで、両取りの掛けられる局面構成が、パッパッと意識に上がってくる。
  ところで、上述の詰みに至る、展開・ストーリー・変遷、を見出すことができたら、その、展開・ストーリー・変遷、での詰め上げを目指して、手順を試してゆく。

 ・すぐに、桂馬で王手が掛けられるにしても、より好適な形に玉を引き出してから別の位置から桂馬で王手を掛けるのが上策である場合もある。
  であるから、すぐに桂馬での王手に走らず、一計を案じて、形を変えてから別の位置からの桂馬での王手の可能性に思いを馳せてみることも必要。

 ・焦点の位置に捨て駒して守備駒を引き剥がす。それによって生じた攻め口から、引き剥がした駒にも・先の焦点の位置にも、焦点を結ぶ王手を掛ける。
  これにより焦点の位置に攻め方の効きが加算される。そこで焦点の位置の駒を、討ち取って・討ち払って、攻めの続行。
  とまあ、そういう構想での攻め方というのも成立する場合がある。
  なので、このような攻め方についても、一計を要する・確認を要する。

 ・今は、玉方の効きがあって定位させられないけれど、そこに定位させることがてぎたら、制圧できて・押し込めることが果たせて、いいのになあ、という手が見つかったら、まず、玉方のその効きを、引き剥がすための手を探る。
  引き剥がす手が見つかったら、その手を繰り出して、そして、望みの位置に望みの駒を定位させて、制圧する・押し込める。
  それが、詰みに連なる手順であるかもしれない。試してみる価値がある。

 ・攻め方の効きが2マス以内の距離の2地点に及んでいる。
  そして、一方の地点からは王手が可能。
  この時、2地点の両方に効きが及んでいる玉方の駒を、先に述べた王手が可能な一方の地点から失効させる。もちろん、王手の手によって。つまり、王手を打ち払う手を指させることによって、攻め方からの王手が可能な地点から効きを失効させる。なおかつ、その失効する手が、攻め方の効きが及んでいる2地点のうちの他方の地点へ定位する手ともなっている。
  そういうことが可能か、探る・調べる。
  他方の地点への捨て駒による王手なり何なりの王手によって、玉方の2地点を守備している駒を、他方の地点に定位させてしまう。それによって一方の地点からは効きを失う。
  それが実現可能なら、それを実現した後、守備していた2地点のうちの守備を失効した位置から、攻め方はさらに王手をかける。
  この王手に対して玉が逃げた時、その王手を掛けた駒で、他方に定位させてあった玉方の駒を取り払ってさらに王手を掛ける。この位置には、最初に述べた通り攻め方の駒の効きが及んでいる。なので玉はまたしても逃げざるを得ない。ここで、攻め方の駒の効きのある地点に攻め方の駒が王手で定位した形が完成。
  一気に制圧が進む・一気に押し込めてしまえる。
  この一連の手順が実現するなら、詰みあがるかもしれない。
  なのでこの一連の手順の成否を、確認することには・試してみることには・調べてみることには、価値がある。
  この典型的な例としては、攻め方の桂の2つの効きの間に玉方の金がいる。その金の下に玉がいる。この時、桂の右効きの位置に金を投入して王手。玉方が同金と討ち払う。そうしたら、桂の左効きの位置に龍を投入して王手。玉が横に移動して金の下に逃げたなら、龍で金を取り払う。攻め方の桂の効きのある位置に攻め方の龍が位置しての王手で、一気に制圧が進む・一気に押し込んでしまう。
  この手順が成立するなら、詰みあがるかましれない。この一連の手順の成否を確認する価値がある。

 ・王手の捨て駒で、守備駒を玉の近傍に引き寄せて、次に、ヒモの付いた位置から、引き寄せた駒もろともの両当たりの王手を掛ける。それによって、さらに次に、引き寄せた守備駒を討ち取りつつの王手を、狙う・目指す。
  つまり、捨て駒のあと、引き寄せた駒をを取り込み戦力を補給しつつ守備力を低減させつつ、の攻め。なので、これは、試してみるべき・確認してみるべき、価値のある、攻め筋・攻め手順、である。
  なお、その手順中、両取りの王手が討ち払われてしまうなら、引き寄せた駒と討ち払ってきた守備駒を、Wで・2枚とも、壁駒として、次なる攻めの継続を、狙う・目指す。また、両取りの手に対して、引き寄せた守備駒が取り込めない位置へ玉が逃げるなら、両取りの手の駒の効きを拠点にして攻めを継続してゆく、あるいは、両取りの手の駒の効きで制圧を果たした上で別途別方面から攻めを継続してゆく。
  つまり、どちらに転んでも、攻めが成立するかもしれない。
  だから、これは、試してみるべき・確認してみるべき、価値がある、攻め筋・攻め手順、である。
  ちもろん、そのいずれの、攻め筋・攻めの手順、も、完結しない場合もある。その時はもちろん、もっと他の手からの・もっと他の着想からの、攻め筋・攻め手順、を、探っていってもらうということである。それは、この場合に限ったことではないが。

 ・角(=かど)に位置している玉形に対しての、2段目の拠点からの金の王手・ヒモ付きの2段金での王手、は詰み形である。
  であるから、玉に隣接する2段目の位置に拠点となる効きがあって、玉の脇に壁を作れるなら、玉を1段目に引き落とせれば、玉を詰め上げることができる。
  なので、この攻め筋・この攻め手順、を目指した、攻めを・手順を、確認してみる・試してみる、価値がある。
  さらにもっと広く言えば、現局面から、少手数で作り上げられる詰み形を見つける。
  そして、その詰み形の、形成・成立、に向けて攻め進めてゆく手順を、点検検証する。そのことには価値がある。
  すぐ横が壁である玉に、腹金は、詰み・詰み形、である。
  桂の隣に金駒があって、その金駒の3段先が壁なら、あるいは、攻め方の駒の効き位置なら、桂の2つの効きの間に位置する玉に対する、金駒の位置してない筋の方の桂の効き位置からの腹金は、詰み・詰み形、である。
  現局面から、少手数で作り上げられる詰み形を見つける。
  そして、その詰み形の、形成・成立、に向けて攻め進めてゆく手順を、点検検証する。そのことには価値がある。
  もちろん、現局面から少手数で詰みあがらない局面構成の場合には、徒労に終わるが。それでも徒労に終わるかどうか試してみる価値がある。

 ・脱出口から遠い位置まで・攻め方に有利な位置まで・ヒモ付きの王手が掛けられる位置まで、誘導して・泳がせて、そして、脱出口から遠のいた・攻め方に有利な、好位置からの・好ましい形からの、ヒモ付き王手で攻め上げて詰め上げる。
  なお、随時、盤上の駒を王手で投入できると、持ち駒が節約できた上で王手の投入戦力が、向上する・増大する・かさ上げされる・増大化する。
  この、盤上の駒の利用による持ち駒を節約しつつの戦力のかさ上げ効果は思いの外大きい。
  なので、通常、この戦力のかさあげは・盤上の駒の利用は、攻め方にとってよいことである。

 ・それが短射程の駒によるものにしても、長射程の駒によるものにしても、玉に隣接する空きマスに攻め方の効きが、発効している・存在している、状態、をつくる・に追い込む・に誘導する。
  つまり、合駒効かずの王手のための、下地をつくる・段取りを整える。
  そして・その上で、長射程の駒で、先に準備した、攻め方の効きが、発効している・存在している、玉に隣接する空きマスを通過する王手を掛ける。
  王手された玉の位置以遠が空きマスだったなら、玉が王手を回避した後、回避する前の玉の位置以遠の位置にわたって制圧を果たし、攻め上げてゆく・攻めつけてゆく。

 ・どう対応したにしても、次にまた王手が掛けられることになる王手であることが必要である。
  ただし、その王手が、詰み上がりの王手の場合は、その限りではない。

 ・長射程の駒による王手を玉が回避した時の玉の隣接位置、なおかつ、王手をかけた長射程の駒の効きが存在する位置。その位置に、先回りで・先に、(王手で)、細工しておく・仕掛けて・捨て駒しておく。
  それから・その後で、先の長射程の駒による王手をかけて、玉が逃げたところで、細工・仕掛け・捨て駒、にかかっている、駒を・獲物を、回収・奪取・取得、する。
  なお、その際の位置に、攻め方のヒモが付いていれば、なお一層強力な攻めとなる。

 ・検討した結果、八方塞に、見えたら・思えたら、それは、正解手順の入り口の手からその先までを点検検証することに該当するものまでも含めて、ほかの棄却されるべきものもろともに、棄却してしまっているためである。
  青天井を生じていると速断してしまってのことか、玉方の抵抗手順が十分に長手順だと速断してしまってのことか、とにかく、なんらかの、誤認・誤断、によっとて、詰みに至れる手から先についての点検検証を打ち切ってしまっている。
  だから、正解手順・詰み上がり手順、が一向に見いだせなくて、八方塞になってしまう。
  解決策は、少し難しいことであるが、点検検証の、誤断による打ち切りを、乗り越えて・打ち破って、打ち切ってしまっていた手についてもさらにその先について点検検証を続行するといい。
  そのためには、忠実に・正確に・愚直に、駒の位置と各駒の効きの分布を、確認しなおす。その先についても、同様に確認を、進める・進めなおす。
  それによって、何とか、誤認・誤断、を打ち破って、詰みを見出すか、もしくは、誤認・誤断、で抱いていた局面についての感触と異なる局面についてのより適正な感触を得つつ、誤認・誤断、のない正確な点検検証へとつなげてゆく。
  しかし、忠実・正確・愚直、に再点検再検証したつもりで、しかしながら、誤認・誤断、から実のところ抜け出せずに、誤認・誤断、を、繰り返しているばかり・繰り返しなぞりなおしているばかり、という状況から脱却できない場合もある得る。
  この場合には、残念ながら正解手順に辿り着けないことになる。
  成功を掴むには、誤認・誤断、から脱却できるまで根気強く、自己懐疑的に、規準に忠実な・規準に正確な・規準に愚直な、思考の実施を心がけて、正解に辿りつくまでそれを繰り返し実行し続けてゆくしかない。

 ・ヒモ付きの銀での正面からの王手&銀の斜めの効き位置への銀の成り捨て。
  これを玉に取らせて、ヒモの効き位置越しの、角での、合い駒効かずの王手へ。
  そして、ヒモの効き位置に角が成るなどして、詰め上げる・攻め上げてゆく。
  なお、銀での正面からの王手の後、一旦、壁を作らせるための手を指して、その上で、銀の斜めの効き位置への銀の成り捨てから、角での合い効かずの王手へとつなげることで、より一層効果が増大することもある。
  いずれにしても、この、銀の正面での王手から、銀の斜めの効きへの成り捨て、そして、角での王手、という、途中、小細工を加える余地もあるこのパターンを、手筋として憶えておく。
  そして、このパターンが可能な時には、試してみること・点検検証してみること。
  これは、慣用手段として、随時、頭の中で点検検証が進められるべきもののうちの、1つであるが・1パターンであるが、自分(=竹花忠)しとては失念してまっていがちなパターンなので、ここに特筆した。
  他の代表的な慣用手段としては、龍による2マス違いの位置からの王手。
  合い駒なら、合い駒の脇からの金か銀による王手で攻め上げてゆくパターン。
  あるいはまた、角による王手に対して、玉の直前で合い駒した形。その形であるなら、その合い駒の直前の位置に桂を位置させての王手で攻め上げてゆくパターン。
  それらの慣用的手段については、随時、頭の中で、点検検証が進められてゆく、状況がある・実態がある。
  そのように自然に点検検証が進められてゆくもののラインナップに、先に述べたパターンもしっかり組み込もうということである。

 ・包囲網を破綻させれば青天井になるであろう。青天井になっては玉は詰まない。
  包囲網の奥深くに玉を引きずり込めば、玉には詰みが待っているであろう。
  なので、包囲網の奥へと玉を引きずり込めるなら、駒を捨てても・駒を損しても、惜しくはない・損はない。
  そういう方針を骨子てした、攻め筋で・攻め手順で、攻めかかってゆく。
  これも試してみるべき価値のある、攻め筋・攻め手順、である。
  また、この場合、包囲網に必須の駒は失うわけにはゆかないが、包囲網にとって、余分な駒・余剰な駒、は捨て身の攻めに使える余地がある。
  つまり、勝利が確定できるなら、配置変えのための捨て駒なり、詰めに必要な種類の駒の取得と引き替えに、身を捨てる手が正解である。
  だから、包囲網にとって必須でない駒については、機を見て捨て身の攻めを遂行することも点検検証してみる。
  詰将棋の課題は、駒得を達成することではなく、玉を詰め上げることである。
  玉を詰め上げることのためには、損してでもそのために必要な、種類・働き・動作、の駒を手に入れること、もしくは、持ち合わせている駒で詰み上がる形に駒の配置を、損してでも変えること、である。
  それらが第1の課題であって、駒得することは第1の課題ではない。
  であるから、この形がつくれる、そして、この形になったら、この駒があれば詰み上がる、ということなら、『この駒』を損してでも取得して、損してでも『この形』をつくることが、第1の課題である。
  以上を繰り合わせて、考えを巡らせれば・点検検証を進めてゆけば、詰みを見出せることもある。


 ・合駒効かずの王手を目指す、ということは、玉方の駒の効きが存在しない玉の隣接位置に攻め方の駒の効きを存在させて、その効き越しに・その効きを通して、攻め方の長射程の駒で王手をかけることを目指すということである。

 ・追う攻めで、追いやってからでは・追い落としてからでは、その位置に長射程の駒の効きを及ぼすための、手段がない・捨て駒ができない。
  なので、追いやった時の位置に、長射程の駒にの効きを及ぼすことが叶ううちに、捨て駒を先にしてその位置に長射程の駒の効きを予め、及ぼしておいた上で・通しておいた上で、あとからの追う攻めで詰め上げる。

 ・打ち歩詰めの回避の常套手段のひとつは、成れる駒を成らないで攻めることである。
  その不完全な攻めによって、玉方に打ち歩詰めの回避行動の余地を与えて、そして、それに連なる代替手順で・それに連なる迂回手順で、詰め上げてゆく。

 ・目的の手を成就させるのに好都合な位置に、玉方の駒を位置させるのに好都合な手のひとつが、玉方の駒を位置させたい位置への捨て駒である。
  詰将棋の場合には、当然その捨て駒の1手が、王手の1手となっていることが・王手ともなっていることが、必要である。

 ・まずは早詰みの手順を見つけだすこと。
  そしてさらに、より長手数の変化手順へと調査を進めてゆく。

 ・急所に聴いている守備駒を、そっぽへと外して、そして、急所から攻め込むも、決め切れない・決まり切らない・詰め上がらない。
  ならば・なので、急所への効きを捨て駒してそっぽへと外した後、もう一工夫・もう一細工、して、先の攻め込む手からの攻めが決定打となるように、お膳立てしてから・整えてから、急所から攻め込んで詰め上げる。

 ・1手詰みの形を憶えてあると役に立つ。

 ・長射程の駒での合い駒効かずの王手を目指す。
  桂以外で合い駒効かずの王手が成立するためには、条件が2つある。
  長射程の駒によって王手をかける位置と玉の位置とを結んだ直線上のどのマスにも玉方の玉以外の駒の効きが存在しないこと。
  この直線上の玉の隣接位置に、攻め方の別の駒の効きが存在していること。
  以上の2つの条件を満たしていれば、長射程の駒による合い駒効かずの王手が成立する。
  合い駒効かずの王手を目指すということは、この状態の形成を目指すということである。
  つまり、玉の隣接位置に攻め方の駒の効きを存在させた上で、その位置を通過するように長射程の駒で王手を掛ける。その際、その直線上・その軌道上、には、玉方の玉以外の駒の効きがあってはならない。

 ・壁駒を移動させて玉の、懐を・挙動範囲を、広くしてしまっても、広くなった位置に玉を誘導した形が詰み形なら、一計の余地あり・試してみる価値がある。

 ・ヒモ付きの駒なら捨てても元の位置はヒモをつけていた駒の効きで壁が維持される。
  なので、壁が崩れてしまうことは心配せずに、ヒモ付きの駒は攻めに繰り出させられる。

 ・急所の攻め駒を残すためには、急所の攻め駒に攻め方の長射程の駒でヒモを付けつつの王手でなおかつ、その残したい急所の攻め釜から玉を引き剥がすことになる位置からの王手で攻めかかる。
  そうすれば、残したい・存続させたい、位置に攻め方のその駒を残存させられる。

 ・守備駒を急所から引き剥がす1手に対して、もし玉で応じたなら、それなら、守備駒の引き剥がしは叶わないが詰み形に引きずり込む1手になる。
  そんな決め手の1手・そんな急所の1手、がかありそうなら、その1手からの、攻め上げを・詰め上げを、試してみる。

 <あとがき>
 <詰め将棋のテクニック>をすべて試してもらえば、詰め上げることに成功できるのではないかと考えている。
 ヒューリスティックな知識、とは、必ずそうであるとは限らないかもしれないが割りとそうであることが多いのでそれを指針にして取り組むとそこそこいい結果が得られることが多いのではないかと思われる知識、のことである。
 『<詰将棋のテクニック>』として列挙したものは、ヒューリスティックな知識、である。
 これらのヒューリスティックな知識を参考にして、駒の捨て惜しみの過剰反応を脱して、的を得た局面で、捨て駒が、合理的に・積極的に・果敢に、選択できて・試行できて、よりスムーズに正解手順が解明してゆけることを期待する。
 勝利の成算がある、局面・状況、での捨て駒は、利他的な行為ではない。
 玉を詰ます、という絶大な利得、を獲得することを実現するための道を拓くために、敵の駒で壁を作ることが必要だったり、敵の駒を引き剥がすことが必要だったり、玉を引きずり出すことが必要だったり、合い駒効かずの王手がかけれる形を形成するために必要だったり、という合理的な目的の達成のための必要から、意図的に自らの側の駒を捨てることは、勝利の成算がある限りにおいては利得行為である。であるから、捨てた先において、玉が詰めあがった状態が実現することが確認された場合にだけ、捨てることは、合理的であり肯定されることである。詰めあがった状態が確認されない場合には、捨てることは犬死であり、非合理的であり肯定されないことである。
 であるから、ヒューリスティックな知識の上から、ここは捨て所である、ということであっても、捨ててみた先で、玉の詰み上がりが達成されないなら、その捨て駒の手は没である。
 しかしやたらと捨て惜しんでいても、なかなか活路は拓けない。
 詰将棋の正解手順には、捨て駒の手が頻出したりもするものなのだから。
 だから、ヒューリスティックな知識、が、捨て駒をしてみる手もありだと指し示している局面では、捨て惜しみの気持ちを振り払って、積極的に・果敢に、捨て駒の手を繰り出してゆくべきである。そしてその結末が、脱出達成であったり、詰み無し、であったなら、そこに至って、その捨て駒の手を撤回する。それによって、それ以外の手に、正解手順である可能性のある手に絞り込める。それで十分である。そしてまた、別の手から先の手順を点検検証してゆく。
 ヒューリスティックな知識のいくつかは、捨て駒の手に踏み出すことの勇気をもたらしてくれるためのものである。一定の合理的根拠を与えて、どしどし確認に踏み出させて、次々に確認を済まさせてしまうためのものである。
 また、それによって、スムーズに対象の絞込みを達成させ、残存するより有望な対象に、できるだけスタミナロスなしで到達させることで、そこに、より高い集中で取り組むことを可能にさせることが期待される。
 それを試してみることの有効性の根拠なく、それを試してみることに踏み出すのは、意外にやりにくく集中しにくい、身が入りにくい。
 ヒューリスティックな知識、によって、有効性についての根拠を与えることで、その試行に踏み出しやすく、集中しやすく、身が入りやすくなる。
 自分(=竹花忠)にあっては、現状、上級者向けの11手の詰将棋の8割から9割くらいは、各1時間以内で正解できるくらいかと思う。
 ちみなに、2022.04.30.の詰将棋、中級7手の問題は、16分で正解した。